2012-01-01から1年間の記事一覧

だから俺は中立だ‐江木武彦「新夕刊」政治部長

『夢を喰った男―「話し方教室」創始者江木武彦』読む。1996年、あずさ書店発行。タイトルの通り、話し方教室の創始者に違ひないのだけれど、それまでの経歴も興味深い。 学生義勇軍時代、「ゴリラの肉体と最高の叡智を持て」と演説し、何人もの記憶に残って…

三上於菟吉「謙遜で、内気で、恒に微笑む国民だ。」

『郷土作家 三上於菟吉讀本 生涯編』は埼玉県の庄和高校地歴部発行。同部の年報第四号となってゐるけれども、220頁の堂々とした研究書。三上の写真に「三上〜読本好評発売中」と吹き出しで云はせ、戸籍など写真資料もふんだんに載せてゐる。よく言へば遊び心…

ファッショ亭主にファッショ女房

『生命線』の昭和8年二月号読む。特に小山寛二「鴻鴴堂横議」。当時ファッショ文士と云はれてゐた双璧が直木三十五と三上於菟吉。『生命線』といふ誌名も三上が発案したもの。ファッショ流行で、何でもファッショと呼ぶが、何が何だがさっぱりわからぬと皮…

少し狂味を帯びる程な熱心家‐西川玉壺と乃木将軍

西川玉壺は本名西川権。在野の歴史研究家で、高山彦九郎の伝記を書いたり、田尻隼人と交友があったりしたことしか知らなかった。ところが西川の少しまとまった話が載ってゐた。 書名だけではわからないが、『大遺訓』(猪谷不美男、明治出版社、大正二年)は…

「娑婆でも読んで頂きたい」‐徳富蘇峰と大杉栄夫妻

『蘇峯会誌』は、徳富蘇峰を慕ふ人たちが集ふ蘇峰会の機関誌。何冊も発行されてゐるが、昭和五年の第二輯はハードカバーで書籍みたやうになってゐる。蘇峰会会長は上田万年。巻末の名簿には幹事として51人の姓名が載ってゐる。山室軍平・後藤武夫・柴田徳…

早川雪洲のお隣は迫水久常

ゲンダイ9面の「本屋はワンダーランドだ!」にBOOKS鎮守の杜。4段費やしてしっかり書いてある。冒頭の「代々木公園の北東脇に立地」が引っかかるくらゐ。隣の記事の『東北の伝承切り紙』(平凡社)もよい。東北の神社に伝はる、七夕飾りのやうな紙細工…

電車の中で読書する人

九月も半ばを過ぎて日中はまだまだ暑い日もありますが、朝夕はだいぶ過ごしやすくなってまいりました。読書の秋はすぐそこです。今年の秋も沢山の本との出合ひがあることでせう。 以前は電車に乗ると、誰もが本を広げてゐました。それがどうでせう、最近の乗…

ルーズベルトを祈り殺した右近汎淡

『日本成仏』は静岡県磐田郡の浜部寿次が私家版で発行したもの。手元の第三版は昭和45年8月19日発行。元三菱重工技師で、平和論とか新発明とか、スケールの大きな話柄を記してゐる。いはゆるトンデモ本で、通読するのは骨が折れる。そんな中に埋もれてゐるの…

山根菊子の遠縁の山本虎三

久方ぶりに『生きてきた』(山本敏雄、南北社)を取り出す。p183がやたら濃い。 友人の一人宿田倍達は、ナチス・ドイツのユダヤ人追放政策に歩調を合せるように、ユダヤ人のいない日本で、排猶同盟を結成した愉快な人物であった。陸軍のナントカ中将をバック…

柳川平助「俺の同志は国体だけだ」

続き。二・二六事件の野中四郎が質素について講話をして、明治天皇が夏でも冬服を着て、避暑も避寒もしなかったと例示してゐるのを見かけた柳川。「説明の内容も設例も注意を要する」と評した。野中にはどこが悪かったのかわからない。教育総監部発行のもの…

柳川平助「けっきょくえらい厄介物を引受けたことになったのだ」

『日本心 覆面将軍柳川平助清談』(菅原裕著、経済往来社、昭和46年)はまさに談話調。つまみ読みでも面白さが損なはれない。巻頭に荒木貞夫「柳川将軍を偲ぶ」の一文。所蔵本には著者とおぼしき写真と菅原名の印刷葉書があった。葉書では「二・二六事件の蔭に…

三島助治「書物の価値は時局を超越する」

いつの間にかはや九月。ぼちぼち読書をしようといふ声が大きくなって、いろんな人や団体がいろんな本を推薦する時節でせう。さういふお歴々は三島助治の文章を読んで何を思ふであらうか。 三島助治『思想維新論』(国民政治研究所、昭和17年11月10日初版)の一…

井田磐楠から大森曹玄への調査依頼

『あゝ八月十五日 終戦時の思ひ出 第二集』は昭和39年8月15日刊行。北九州の八幡師友会刊行。第一集の700部が在庫切れになるほど好評だったため、今回は3000部の発行にした。 直心塾の大森曹玄が「聖戦に降伏なし」と題して、八月十五日のことを記録してゐる…

井上清純「天皇陛下は功徳をお積みになられた」

井上清純は戦前の貴族院議員。天皇機関説排撃や軍縮条約反対運動に関する文章を読むとその名を目にできる。右翼陣営に居たことは確かだが、単なる右翼ではない。『師恩‐井上清純を偲ぶ門下生の回想記』(山崎信一)には、その機微が描かれてゐる。この本は非売…

折口信夫「お前なんか、生意気だ」

『短歌春秋』の昭和九年四月号を読んでゐたら、銀座にあるカフェーが出てきた(柳田新太郎「空穂・迢空・東村 歌客酒談」)。柳田が矢代東村を初めてのカフェーに誘った。尾山は篤二郎、前川は佐美雄。 一昨年の秋だと思ふが、尾山氏を先頭に前川に僕、銀座で…

武藤貞一「社交ダンスは点火された爆発物だ」

戦前、大阪朝日の天声人語を書いて文名高かった武藤貞一。担当してきた長谷川如是閑、永井瓢斎の後を継いだ。某書に、はっきりした物言ひが人気の理由だったとあってへえと思ってゐたら、その武藤の「女性は解放されつゝありや」(『大成』(新政社、昭和9年1…

赤尾敏を転向させた秦真次

『太陽民族の使命』は昭和56年11月23日発行。著者は元木素風こと元木福治で、発行元の日の本教壇の人。ここに赤尾敏の話が詳しく出て来る。 秦真次は陸軍中佐のころドイツに派遣された。そこでホームシックになったが、太陽のありがたさに深く感動。帰国後に…

赤尾敏とザリガニと韓国

『日本』といふ月刊誌は過去にいろいろあった。手元の『日本』は愛国出版社発行。昭和28年12月発行。裏表紙は第一巻第九号だけど表紙には第一巻第三号と誤記。この号は赤尾敏・演説骨子特輯と銘打ち、47頁すべて赤尾敏の主張で埋められてゐる。 卑近な例では…

野島辰次の略歴

明治二十五年(一八九二年)東京本郷元町松平伯爵邸内にて出生。父三八郎(松平家の家臣)母せいの四男。明治三十二年(一八九九年)本郷尋常高等小学校‐京華中学‐慶大理財科中退。大正九年(一九二〇年)‐大正十五年(一九二六年)時事新報記者、その傍ら文筆生活をす…

正岡容「フチなし眼鏡が大へんにエロで」

鮫島純也の記事と同じ号の『実話雑誌』に、北村兼子の記事が出てゐる。「北村兼子 恋の走馬灯」を書いたのは、まだ草冠のついてゐる正岡蓉。北村と関係があったとされるのが服部嘉香・高尾楓蔭・椿三郎・瀧川幸辰・三上於菟吉…。これは北村を誹謗する為に流…

夏草の御製

代々木でもらった『まごころ』第六巻第七号。明治天皇が明治38年に詠まれた御製「夏草」が載ってゐる。 國のため民のためには夏草の ことしげくともつとめざらめや それはいいのだけれどもその現代語訳が「国のため、国民のために、夏草が茂るように励みます…

正午頃に行ってみたまへ‐成田豊四郎のおとわ亭

『実業之日本』大正十年12月号 (24巻23号)を繰ると「学生と軍人に大持ての食堂」(渋谷町人)が載ってゐる(p60〜61)。《客の集まる店巡廻記》といふ連載。此の回はなんと四段の見開きすべて、神保町にあったおとわ亭の紹介。胸が躍りますね。踊りませんか…

万歳か弥栄か‐後藤武夫と筧克彦

『萬歳を嵩呼せよ』は20頁に満たない小冊子。昭和2年四月一日の発行。著者の後藤武夫は発行元の日本魂社社長と言ふよりも、帝国データバンクの創業者として名を残してゐる。 後藤は日本青少年団研究会会長も務めた。事の起こりは其の少年団の日本連盟諸規程…

「ネクタイ、ハッピみなこれあなたから受く」by鮫島純也

下積半人「無軌道恋愛記」は非凡閣の『実話雑誌』昭和六年九月号(一巻六号)所収。時の逓信大臣小泉又次郎の御令嬢、小泉芳江が実家を飛び出して恋人鮫島純也の下に駆け込むまでを描いてゐる。 実際の事件を基にしたのだらうけれども、脚色が多くて何とも言へ…

有松英義内務省警保局長「少しは手落ちもあらうぢゃ無いか」

『日本及日本人』明治42年11月号読む。来島恒喜追悼会の記事が載ってゐる。 でも今日は「文芸取締りの行衛」。捕風捉影楼が、検閲する側を訪問した記事(p95〜98)。 はじめは警視庁に、亀井警視総監を訪ねた。図書検閲係室に通されたが、そこには役人一人し…

御奉迎の態度‐検閲される満川亀太郎

『人の噂』昭和8年6月号に、月旦倶楽部第二十回例会として「日本精神の世界的昂揚」が載ってゐる。此の会の出席者は若宮卯之助・高須芳次郎・津久井龍雄・藤澤親雄・澤田牛麿・満川亀太郎・蓑田胸喜・森清人・西原亀三・崔棟ら。 満川が遭遇した、三大思想事…

正に罪穢天下に満つ‐田中治吾平の天下大修祓会

『神風』(大正13年8月1日発行、第439号)を読んでゐたら、田中治吾平の名前が。べた記事二つなので、目次には載ってゐない。 7月12、3日頃、記事の筆者である「鉄峰光」子の所に来電があり、16日夕方に二重橋前で修祓をする者があるさうだが誰が主催かと言ふ…

買はざるときは逆臣の如く‐皇室本の押売り

『神廼道』(神廼道雑誌社)は齋藤襄吉が発行する神道新聞。 大正五年十二月発行第64号に、杉浦鋼太郎国語伝習所主が「尊厳を笠に着る」を書いてゐる。内地から上海に諸商人が渡ったが、なかなか芳しくない。ところが神宮大麻を売る者は大人気で、みな十円は出…

所謂非国民之なり‐宮井鐘次郎の伊勢神宮奉賛会

『伊勢神宮奉賛会設立主意書』は約三十頁の小冊子。大正十四年一月十七日の発行。伊勢神宮奉賛会は三重県宇治山田市岩淵町二〇一番地に設立された。代表は宮井鐘次郎。 神宮の崇敬団体として戦前は神宮奉斎会があった。戦後の伊勢神宮崇敬会の旧名はやはり伊…

男は居るが女は居ない‐捕はれの幽蘭おばあさん

『八光流』は奥山竜峰創始の護身術の機関誌。写真頁には女性が大男を投げたり、海外へ発展する様子が載ってゐる。論調が独特。保守派と言ふよりも戦前の浪人連の雰囲気がする。 昭和42年8月号に「満州秘話 幽蘭女史救出記(1)」。著者の小出忠義は当時協和会…