御奉迎の態度‐検閲される満川亀太郎

 『人の噂』昭和8年6月号に、月旦倶楽部第二十回例会として「日本精神の世界的昂揚」が載ってゐる。此の会の出席者は若宮卯之助・高須芳次郎・津久井龍雄・藤澤親雄・澤田牛麿・満川亀太郎蓑田胸喜森清人・西原亀三・崔棟ら。
 満川が遭遇した、三大思想事件がよくまとまってゐる。一つは大逆事件。満川は新聞記者として裁判を傍聴した。二つ目は20年も前の大正四年のこと。上野池之端で、明治天皇一代記と名付けられたパノラマ展が開かれてゐた。いい気持ちで観覧してゐたら守衛が駆けつけて、非常に暴慢な態度で帽子を取れといふ。明治天皇の御肖像は一、二しかなかったので、そこに近づいたら勿論脱帽しようとしてゐた。それを頭ごなしに注意するのは却って危険思想を醸成しはいないか。と言ふ。
 三つ目は前年の暮れ、大阪で大演習があり、昭和天皇行幸なされたときのこと。

 大阪の市中、或は沿道の家は××に依て尽く××××をされ、殆ど××扱ひを受けたのであります。日本は苟くも一君万民の国である。天皇は親であり、国民は子である。斯かる遣り方は、日本の建国精神に背反すること、非常に大きなものである。危険思想は斯う云ふところから出て来ると云ふことを確信して居るのであります。

 前後から類推するに、一般市民は門戸を閉めるように官憲から指導され、ろくに奉迎できないようにされたやうだ。それでは一君万民にそぐはないので、満川は憂へてゐる。パノラマ展の時と言ひ、過度に君民を離間させるのは良くない、さういふ主旨が三大思想事件のうち二つを占めてゐる。
 少し後に、

 私は共産党の諸君が資本主義経済組織が悪いと云ふことを天下に宣伝し、それが、我が日本国民の常識になつたと云ふ功績は非常に大きなものがあると思ふ。

と迄言ってゐる。共産党を評価してゐるのに、こちらは検閲されてない。
 関連して。此の前の杉浦鋼太郎の文章に、明治天皇の侍講を務めた福羽美静の言葉が伝へられてゐる。 

『王朝の人民は帝室と最も親しんで居つたのと、不羈独立の思想を持つてゐたから、天皇陛下御臨幸の場合、路傍に拝観の人民は直立して天皇を熟視し、而して稍々頭を垂れて敬意を表したものであつた。』
ところが支那の制度が入り来つて、人民をして虚礼を重んずるに至らしめ、封建時代になつては下民を圧迫して卑屈に陥らしめた。其の結果只頭を垂れ腰を低くするを以て敬礼の本旨に適ふが如く思はしむる様になつた。
斯やうなことは日本固有の国民性を破壊したものである。

 本来の日本国民ならば奉迎者は、天皇を熟視して良い。パノラマ展の守衛も、大阪市民に閉居を命じた当局も、儒教に毒されてゐたことになる。