折口信夫「お前なんか、生意気だ」

 『短歌春秋』の昭和九年四月号を読んでゐたら、銀座にあるカフェーが出てきた(柳田新太郎「空穂・迢空・東村 歌客酒談」)。柳田が矢代東村を初めてのカフェーに誘った。尾山は篤二郎、前川は佐美雄。

一昨年の秋だと思ふが、尾山氏を先頭に前川に僕、銀座で御飯を食べたついでに矢代を「銀座会館」へ伴れこんだところが、彼氏、洋傘の柄に両手をのせたまゝポカンとしてしまつた。女給氏が酒をつがうとすると「いや僕は駄目です」といやに固くなつてゐる。光と色の交錯から生れる妙な空気がどうもなじめないらしく、三十分ばかりも黙つてゐた。

 なるほど女給が酌をしてくれて、光と色があれこれするやうな所で、今のカフェとはちょっと違ふ。純喫茶でない方の喫茶で、これを武藤貞一が批判した。

 同じ記事に、折口信夫を怒らせた話が出てゐる。去年と云ふから昭和八年、古泉千樫の追悼会のあと、来賓の北原白秋と折口を迎へて幹事の慰労会をやることになった。集まったのはこの二人に四海民蔵、矢代東村、貴田実、岡山巌、橘宗利、大橋松平、杉浦翠、水町京子、北見志保子の九人と柳田。 
 実は柳田は、前々から折口の酒量を知りたかった。聞くと二合はいけると言ふ。そこに三合以上は飲ませることに成功した。
 

ハテナと目をあげると、なんと釈さんが某氏をつかまへて
 「××、お前、生意気だ。お前なんか、生意気だ」
と叱つてをられるではないか。私は釈さんが怒る場面など想像したこともなかつた。それが大いに怒つてゐる。
「こりや相当なもんぢや」
とまた腹の中で思つたことである。しかしその頃の釈さんはもうすつかり駄目で、折柄駆けつけた「青垣」の中島君が自動車で大井町まで送つてゆくといふ騒ぎ。無理に履かせた靴が四海さんのだつたりして、四海さんは誰かの下駄を履いて第三会場へ繰込んだりしたもんだつた。
 二日置いて、約束しておいた時間に国学院へゆき、釈さんと一緒に大井町のお宅へ行つたんだが、釈さんはあの夜からお蔭で下痢はするし、頭は借りたものみたいで、学校を二日間休んだといふ話。
 「わたしは、もうあんたのやうな人とは酒を飲んません」
と私はそれつきり釈さんから「酒」を締出されてしまつた。それでも
「いつぺん矢代君を慰労したいとおもてるので、その時また一緒にどつか三人で御飯でも食べましよ」
 といふ言質を得てゐるから、また釈さんを二三日休校さしたいと思つてゐる。

 伏字になってゐるのは誰なんだらうか。
 柳田が全然懲りてゐないのが素敵。