所謂非国民之なり‐宮井鐘次郎の伊勢神宮奉賛会

 『伊勢神宮奉賛会設立主意書』は約三十頁の小冊子。大正十四年一月十七日の発行。伊勢神宮奉賛会は三重県宇治山田市岩淵町二〇一番地に設立された。代表は宮井鐘次郎。
 神宮の崇敬団体として戦前は神宮奉斎会があった。戦後の伊勢神宮崇敬会の旧名はやはり伊勢神宮奉賛会。宮井のと直接は関係なささうだが、設立時の関係者に宮井のことが念頭にあったかどうか。
 巻頭の奉賛会主旨は大正10年2月11日付。

 従来の凶徒は、多く廟堂に近待して政権争奪の意味を有せる脱線的行動なりしが、彼の幸徳一派に至つては、純乎たる民間より出でゝ、真に国体を破壊し皇道を蹂躙せむと企てしも日月未だ地に墜ちず、天誅忽ち彼等に加はると雖も、同系の思潮は今尚各所に潜在し加之階級打破、貧富画一の思想は、恰も怒涛の如く澎湃として止まる所を知らざるものあり、豈又恐れて畏れざるべけむや。
 我国家にして苟くも神宮中心主義を忘れむか、之れ国家の自殺なり、我臣民にして苟くも神宮中心の観念なからむか、如何に学あり才ありと雖も、之れ国民たる唯一の要素を欠ぐものにして、所謂非国民之れなり

 ここでは大逆事件の衝撃が神宮中心主義に繋がってゐる。
 顧問は17人で、各地の神社宮司が主。神宮奉斎会会長の今泉定介も上がってゐる。賛成者は三百人近く。貴族や名士が中心で頭山・内田・杉山の名も。朝鮮出身者は二名で、うち一人が李起東。
 巻末に「祓のおはなし」がある。 

 今日の人は禊祓といへば耶蘇教にある約但河の洗礼の如きものと心得、火の祓といへば、真言僧侶の護摩供養と同視する者もあらうが、実は能く祓の意義を徹見することが、日本神道といふものゝ概念を得るに欠くべからざることで、この祓の心を失はざる限り、世界は平和に快濶に、何の蟠りもなく、進歩に向つて励み得るのである。

とあるので、却って禊祓が浸透してなかったかのやう。

吝つたれた私の心が、すべての罪悪の母ともなるのであるから、ソコで篝火を焼き連ね、火の祓をするのである鳴物を以て陰鬱の気を散せしめるのである