2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

堤康次郎邸で三船久蔵に柔道をさせた宇田国栄

『政界五十年思い出の人々』は宇田国栄著、新政研究会発行、中央公論事業出版製作、丸ノ内出版発売。昭和54年6月20日初版で、7月18日再版。 函・本体とも表紙・背に著者名なし。奥付の略歴には年月の表記がないので、この本だけでは著者の生年もわか…

窪田静太郎「一歩進んで云へば不道徳ではないか」

続き。窪田静太郎は形式嫌ひ。貴族院では演壇に上るとき、途中にある玉座に拝礼する習慣があった。天皇がお出ましでない、誰も居ない椅子に礼をしてゐた。あるとき、勝田主計蔵相がそれをしなかった。それを三室戸敬光が叱責し、勝田を陳謝させたことがある…

窪田静太郎「皇祖皇宗に対して永遠無窮に存在する任務がある」

窪田静太郎は社会事業家で内務官僚、枢密院顧問官などを務めた。貧困やハンセン病対策にも尽力した。『窪田静太郎戦時下手記 自分はどんな人間だったか』(平成4年3月、日本社会事業大学編集刊行)を残してゐる。「自分はどんな人間だったか」は昭和13年8…

幸徳秋水も難波大助も祀るべし

続き。何かと賑はってゐる神田明神。『革新』の無署名子が「珍学説 平将門を神に祭った話」で取り上げてゐる。 大義名分を八ヶましく云ふ日本国民が、逆賊平将門を、皇都の中央神田その他に、神として祭り上げられて居るのが分らぬとの質問があつたが、これ…

三井甲之「美濃部氏の態度は個人的失礼の標本」

『革新』は埼玉・秩父の発行、編輯兼発行印刷人は革新社代表の関根正作。手元の昭和10年4月号は6巻4号で、全38頁中、美濃部達吉問題に多くの紙数を費やしてゐる。 三井甲之「知識的理論よりも情意的動機に帰すべき美濃部憲法論の凶逆性」は、美濃部の…