2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「どこかへ掲げて道連れになつて戴きませう」‐頭山翁の写真と海を渡る下位春吉

『向上之青年』の昭和2年9月号には、一家で渡伊する下位春吉の様子が詳細に描かれてゐる。時は7月4日、所は横浜埠頭の箱崎丸。同道するのは13歳になる高輪小学校の不二男君、17歳の頌栄高女の桃代嬢、それにふじ子夫人。見送るのは母のふさ子刀自。送別…

「頭山先生以来の立派な国士だ」‐頭山翁と下位春吉の会見記

『向上之青年』昭和2年8月号の「興国の光芒輝く星ヶ岡」(伊原敦、p14〜p20)は頭山夫妻、下位春吉夫妻、小原達明帝国文化協会会長夫妻、上村藤若同協会主幹の七名が一同に会した記録。5月29日の星ヶ岡茶寮に打ち揃った巻頭写真が素晴しい。峯尾さんは苦…

葉書一枚買へない下位春吉

『向上之青年』(帝国文化協会)の昭和二年七月号に下位春吉が大々的に掲載されてゐる。星ヶ岡での、同協会会長の小原達明八千代生命社長との会見記。「山王台の森かげから」と題した記事を書いた伊原敦はなかなかの美文家。「明治維新を一区画として、志士の…

杉村楚人冠が出世できない理由

『現代』大正10年7月号には細々した逸話が載ってゐる。「挿話三篇」は信天翁子の筆。 「玉に瑕」ははじめに杉村楚人冠の語学力を「英米の公使や領事ですらも跣で駈け出すといふほどの天才である」と褒めちぎって、しかし杉村にも悪癖があるといふ。 東京朝…

偶感

武者が模索舎でむしゃくしゃして模写の武者絵をくしゃくしゃにしたっていふのが繰り返せなくて本当にむしゃくしゃしさうになって背筋が寒くなる晩秋の夜

「世の異教者と偽仏教者を駆逐せしめん」‐鹿毛信盛の『真仏教軍』

京都・博議社の『経世博議』第9号は明治24年9月25日発行。発行兼編輯人岩尾昌弘。仏教全般の雑誌で、短いけれど真仏教軍発足の記事が目に留まった。 真仏教軍九州の筑後に誕生せんとす、其発起者は貴族院議員鹿毛信盛氏外十有余名なり、而して其期する所は国…

「トーシ」「マーヅ」に聞こえる萩原朔太郎

『清和』は東京横浜電鉄株式会社目黒蒲田電鉄株式会社清和倶楽部の刊行。昭和14年8月号が第六巻第八号。この号に変はった座談会が載ってゐる。「車掌・駅員の喚呼を批判する音声文化座談会」。出席者は石川錬次・服部嘉香・原田君代・服部龍太郎・千葉勉・萩…

頭山翁を指圧する浪越徳治郎

『自分でできる3分間指圧』(浪越徳治郎、実業之日本社、昭和42年)はハウツー本だけれども、たまに自伝めいた話柄もでてくる。 戦前に頭山満という豪傑がいました。この方は一代の国士といわれ、日本全国に大勢のファンがいたものです。頭山さんのからだつ…

尾高豊作「本を読めば病気が治るといふことは一つの暗示療法」

読書といっても様々で、文学書や専門書ばかりが読書でない。多くの人にとっては実用書も、否実用書の方が売り上げも影響も大きい。これを読めば問題が解決し、かうすればもっとよくなるとか、本当かとも思ふけれどもそれが売れてゐたりすると少しは効果があ…

佐藤勝身「泥の道へ傘をたゝんで土下座してしまつたのです」

『生命の教育』の昭和10年12月号は第1巻第5号。「左翼転向者の座談会‐思想教育の問題‐」が載ってゐる。出席者は谷口雅春・佐藤勝身、中林政吉・小西茂國・佐野哲生・山口梯治・村上幸一郎、佐藤彬・松本恒子。左翼が転向して如何にして生長の家に縁ができる…

山田新一郎宮司「東洋のムツソリニーたらんことを」

昭和8年発行の『中安翁追悼録』は中安信三郎大日本国粋会会長の追悼録。 晩年は京都に孝明天皇を祀る孝明神宮を造営しようと運動してゐた。会名の国粋といふのは杉浦重剛直々に命名されたものである。山田新一郎北野神社宮司が書いてゐる。 中安君といへば…