2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

桜澤如一「何と云ひ様のない荘厳な宴会になります」

続き。同号には、みくに同人の松野重正と、新興生活館常務理事で修養団総務の岩田軒造の息女との結婚式の様子も報告されてゐる。これが一風変った式で、「日本精神と基督教との融合せる理想的の形式」「食養会式の理想的料理、神ながらの献立」。 具体的にど…

今泉みね「之も徳川時代の罰かも知れないと思ふのであります」

『みくに』の昭和12年5月号・3巻5号は今泉美根の追悼特集。今泉が徳川時代を回顧した口述は評判が高く、東洋文庫に入ってゐるので、のちのちまで広く読まれることと思はれる。 その掲載誌の『みくに』は、日本精神と基督教が交差した機関誌で、日本神話と…

山カン横丁のブラック新聞社

『大日』の昭和11年11月15日号(第139号)を読んでゐたら、「随筆 つめ弾」(湯朝竹山人)といふ興味深い回顧録があった。 明治の末から大正の初めころまで、第一生命の南あたりの丸の内の中心は雑草茂る武蔵野だった。その辺りにはインチキ会社や商店が立ち…

福羽美静「お札や大麻の金で、飲んだり食つたり」

今年は神宮と出雲大社の両方で遷宮があるので、いろいろ活発になってゐる。神宮の金の座と米の座といふのも、そのうち当局が喧伝し始めるのかもしれない。 『闇夜之灯』は渡辺重石丸の道生館の機関誌。発行兼編輯人藤野達二。明治29年6月24日発行の第17号は…

幡掛正浩「頭山先生の顔はあたかも日本といふいのちの化貌」

『理想日本』の昭和18年10月号に、幡掛正浩「面(つら)とミコト」が載ってゐる。和辻哲郎の「面とペルソナ」を論難したもので、「この書物の表題に苦笑する」とか「人はあまりの馬鹿馬鹿しさに呆然とするであらう」とか舌鋒鋭いものがある。 尤も面貌に気迫…

救心の広告塔になった伊藤東一郎翁

110歳で富士登山を敢行したことで世間を賑わせた百十翁こと伊藤東一郎翁(その後年齢の計算違ひが発覚したとか)。『婦人と修養』(婦女界社)の昭和13年9月号の広告ページに、「日本一の心臓」と題して大きく取り上げられてゐる。登山姿は背筋が伸び、…

大隈重信「本じゃ、本じゃ」

続き。突然休職を命じられた佐藤孝三郎が大隈重信のところに挨拶に行ったら、次のやうに慰めてくれた。 大隈侯に伺えば、「今度は気の毒だった。まあまあこういう時は、本じゃ、本じゃ、本に限るんじゃ。暇にまかせて読書が第一。寺内が総理になったが、あの…

有松英義内務省保安課長「それでは盲判を押すからね」

続き。佐藤孝三郎は明治33年5月に内務省警保局図書課属として採用された。月給35円。当人にとっては金殿玉楼中の人物になったやうで、夢の如しだと喜んでゐる。 局長は安楽兼道。初日に電話をかけるやうに言付かったが、架け方がわからず困ってゐると、関…