2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

全人類は悉く読め

『東方之星』(昭和3年10月発行、第三巻第五号、東方文学社)より。 「オリエンタリズムの先駆」と謳った高須芳次郎の個人誌。月刊ではなく年四回発行で、この号は秋季号。その中に、『日本時代』創刊の囲み記事がある。 雑誌『日本時代』生る 思想混乱、悪化…

鳥谷幡山が語るとうほぐ

『東北之研究』(東北研究会、大正7年5月、第2巻第5号)より。「閑文字(二)」と題して幡山画史が随筆を寄せてゐる。幡山画史の東北観が窺はれる。 吾々が人に物を贈るとか人を饗応する場合には、之は何処何処の物であるが珍しいとか兎に角旨いから召上つて下さ…

乃木静子夫人、良心を教へる

『みさを』(昭和2年6月号、第216号、陸海軍将校婦人会本部発行)より。 尾上金城神道大教院少教正が「建国の由来と神代女性の美徳」と題して、4月20日に本部例会で講演した。建国神話を説いて日本と日本民族の尊さを語り、 他の民族より超越した我々…

増田宗太郎に心酔し福沢諭吉を尊敬する三浦義一

前回の続き。仁田越男は大分日日新聞の記者だったやうで、23歳の頃三浦義一の親の数平大分市長と会ってゐた。他県人が災いして他の記者によく出し抜かれるので、数平がかはいさうに思って、大分市の上水道敷設計画発表などの特種を与へた。豪放の反面人情…

酣燈社版『美味求真』の怪

豊前・豊後からなる大分県人の機関誌『二豊之友』。昭和24年10月号(第21巻10号)、二豊之友社より。 編集者の仁田越男は踏んだり蹴ったりだ。キティ台風で自宅の家屋が倒壊したところに、不幸の手紙が届く。当時は「幸福の鎖」。安立電気社長の小屋氏…

皇道振興会と日本評論家協会

『日米英決戦の展開』(日本評論家協会編)は、同会が主催した講演会をまとめたもの。発行所は元元書房(皇道振興会出版部)。装幀田代光。 講演が行われたのは昭和16年12月9日夕。大詔渙発の翌日といふタイミングで、演題を変更した人も居た。講師は五人で…

二月二十九日

平成の世には殆ど見られないけれども、以前は名士の揮毫が出版物の巻頭を飾った。その枚数が数頁に亙ることも珍しくなかった。 『弟橘媛命御事蹟』(昭和11年10月15日発行、大日本正気会会長長田致孝著作兼発行者、発行所大川益之助)にはそのうちに、頭山翁と…

八百長でなく実演

『彩霞功罪録〜絵描きになった横浜元街小学校の先生〜』(八木洋美、文芸社、平成16年10月刊)より。序文は西川治東京大学名誉教授・富士学会会長。著者も会員。 彩霞八木熊次郎は愛媛松山の生まれ。現在も使はれてゐる森永ミルクキャラメルのデザインを考案。…

目的といふ目的のないのが、即ち亦此の会の目的

まだ続き。四宮憲章は国学者で漢詩人。皇明会を主宰。写真で見ると怖さうな面構へに、新成人の女性がよく襟に巻くあれのやうな、ふはふはしたやうな立派な髯を生やしてゐる。 顔に似合はぬ美声で記者に説明するには、髯でさへあれば疎密長短職業年齢を問はず…

巨人に悪人は一人も居ない。巨人は女にもてる。

前回の続き。見出しは巨人会だが本文はすべて巨人倶楽部。フクフク会は女性で、男性は巨人倶楽部に入るのか。会長の石黒敬七は23貫(86.25㌔㌘)足らず。会で一番小粒の石黒よりも大きいかどうかが入会の尺度であった。18貫(67.5㌔㌘)の記者は入会…

集まったデブ80人

日本初の女性校長は木内キヤウ。東京市板橋区志村尋常小学校校長。この木内校長が作ったデブの会がフクフク会。初めの入会資格は東京市内の小学校女教員で18貫目(67.5㌔㌘)以上。 私が肥りだしたのは、師範学校を卒業の頃からで、メキメキと体重が増し…

強く生きよう

歴史秘話ヒストリアで後醍醐天皇を拝して勇気をいただく。イラストがかはいかった。 『朝霧の巫女』の湊川篇を買ったばかり。悪い気はしない。金文体で七生滅敵。千五百秋のルビがちいごあきになってゐたのが残念。 出たばかりの朝日新聞出版の『週刊新マン…