2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧
『月刊随筆 博浪沙』の昭和14年2月の号を見てゐたら、李鴻章を狙撃した小山豊太郎がゐた。 田中貢太郎「記憶に残る人々(二)」で、小山六之助翁の名前で描かれてゐる。 当時も今も、講和交渉を不利にさせたとして評判はよくないけれども、田中は理解を見せ…
続き。永田が自由に行動できた理由の一つとして、下中弥三郎の協力もあった。桜井忠温の計らひで、平凡社の大百科事典、陸軍画報、海軍画報、淑女画報などの客員や支局長代理として各地に行くことができた。腕章ももらった。 玄洋社との繋がりもでき、頭山翁…
面白くて、頁を繰るのが惜しくなるほどだった。 『女傑一代』(毎日新聞社、昭和43年8月)は永田美那子の半生記。万朝報の女性従軍記者第一号で、陸軍省つはもの新聞班嘱託として渡満。それだけでなく軍の諜報活動に従事し、生死の境を何度も潜り抜けた。最…
続き。同書には「献本受難」の項もある。 淡路が本を出版した際、茨城の天狗洞文庫といふところから手紙が来て、無料で寄贈してほしいといふ。見ず知らずの他人なので放ってをいても一向にあきらめず、何度も手紙を寄越す。 これ程懇望してゐるのだから、一…
淡路圓治郎は歴とした心理学者で専門書もあるけれども、随筆にもその才を発揮した。 『漫筆 落書帖』(中央公論社、昭和15年1月)には、ある男の活字中毒の症状が綴られてゐる。 むつくりと朝の床を蹴つてから、ぐつたりと夜の床にのめり込むまで、四六時中…
売文社、黒龍会、やまと新聞と左右を経巡った北原龍雄。戦中の動向を綴ったのが「八路軍情報‐ベトコンゲリラからの回想‐」。『人物往来』の昭和40年10月号に発表し、表紙にも掲げられてゐる。 北原は昭和13年から5年間、参謀本部から委嘱を受け、八路…
『脱狼群』(鈴木長城、富士書房、昭和28年2月)の著者は、肩書に元国府軍特務少将とある。鈴木は終戦後の混乱から邦人を守るため、中共側に立って協力。しかし叛乱を起こして、次に国民党系の地下工作員として活躍した。満洲の吉林を舞台に日・共・国・鮮…