2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧

星野輝興「さうあはてるな」

『教育報国』の昭和16年1月号(7巻1号)に、星野輝興の「明治天皇の御製を仰ぎて」が載ってゐる。 当時、毎月一回、軍神橘周太の部下だった内田清一軍曹の宅で、御製奉戴会といふ会があり、星野輝興宮内省掌典が明治天皇御製について講義を行ってゐたとい…

正木亮「そういうものかな」

『正木亮追想録』(昭和49年2月発行)は矯正協会内の刊行会から出版された。 死刑廃止論や志願囚として著名な弁護士で、第一部が傳記(目次では「傅記」と誤記)、第二部が追想記、第三部が年譜と主要著作目録になってゐる。 真面目な作りの本で人柄に沿った…

田中舎身の東亜女学校は生徒30人

『日本及日本人』の明治43年3月1日号を見てゐたら、田中舎身居士の紹介があった。「八百八街一町二人(四)」(黙洲)は各町の名物男を取り上げる連載で、下谷稲荷町の田中舎身と漢方医の中川昌義が載ってゐる。 田中舎身居士、頭山翁の同志の仏教者らしいが…

児玉誉士夫を乗せた馬

『野人の風景』(日本競馬協会㈱八千代産業発行、昭和59年2月)は監修が石渡庸左、編集発行落合義一、となってゐて、中を読むと総監修稲葉八州士とある。 手作り感溢れる本で、ちょっとわかりにくいが、どうやら日本競馬協会理事長、八千代産業会長の稲葉八…