蚊が好きな津雲国利

 続き。豪華客船「オリンピック号」に乗って大西洋を横断した市倉眞吾。船上でも活動的な英米人を目の当たりにして、消極的な日本人の前途を案じてゐた。『学友会雑誌』には後輩に当たる在校生の文章も掲載されてゐる。

 旧制中学5年生の津雲国利が「感想一束」といふ随筆を書いてゐる。ある人が津雲に尋ねた。「蚤と蚊とどっちが好きか」「君はどうなんだ」「どっちも好きではない」。そこで津雲は答へた。「蚊が好きだ。蚊は羽音を立てて近づいてから人を刺す。蚤は音も立てずに人を闇討ちする。蚊は名乗りを上げてから戦に臨む武士のやうなもので、正々堂々としてゐる。予は武士道主義の蚊が好きだ」

 蚤と蚊とどっちが好きかと聞いておいて自分はどっちも好きではないといふのは変てこな感じがするが、ここでは津雲が卑怯な振る舞ひを嫌ひ、武士道を重んじてゐたことを確認しておきたい。新渡戸稲造『武士道』の日本語版刊行は明治41年。津雲の文章が載った『学友会雑誌』は44年発行なので、津雲は『武士道』を読んだか評判を耳にしたのではないだらうか。

 休暇の日、友人2人が津雲の元を訪ねてきた。そのうち1人が「吾輩が最も大きい」と言った。別の1人と津雲は体が小さかった。津雲は「3人のうち、誰が大きいと決めることはできない。将来のことは誰にも分からないからだ」と応じた。友人甲と乙は口を揃へて言った。「未来のことではなく、現在のことを言ってゐるのだ」。津雲は「その通り現在のことを言ってゐる。未来のことは誰にも断言できない」。友人甲は「何を言ってゐるのか訳が分からない。興奮するな。落ち着けよ」となだめる。津雲は答へる。「興奮などしてゐない。ただわれわれ3人の大小は誰にも分からない。人の大小は死んだときにはじめて分かるといふ当然のことを言ってゐるのだ」。友人甲はあきれて言った。「今は体格の話をしてゐるのだ」。友人乙は何も言へずただただ目を丸くしてゐる。津雲は反論する。「人間は見た目で判断してはいけない。大小といへば体だけではなく、精神も含めた人物全体の大小を見るべきだ」。

 体格の小さい津雲の負けず嫌ひぶりを示すやうな会話だ。

 人体と蚤と地球の関係を論じた文章もある。「蚤を愛す」「蚤のやうになりたい」といふ津雲。世界が人体だとすれば、人間は蚤のやうなものだ。蚤は小さな体で人体を震動させることができる。蚤は人間界でいふなら英雄や豪傑に当たる。体の小さい津雲だが、夢はでっかく世界を相手にしてゐる。さういへばさっきは武士道にのっとった蚊が好きだと言ってゐた筈だがどうしたのだらう。蚤は闇討ちをするから評価できないのではなかったのか。時系列が逆で、はじめは蚤が好きであとから蚊が好きになったのだらうか。それとも昨日は蚊が好きだったが今日はやっぱり蚤の方がいいな、などと心が揺れ動いてゐたのかもしれない。病気をしてゐたので、とりとめもなく想像を膨らませたともいへる。

 津雲国利はのちに衆議院議員として当選を重ね、防共護国団事件への関与も取りざたされた。 

 市倉眞吾が対抗できるかと危惧した英米と、日本は35年後に戦争を始めた。蚊のやうに武士道により正々堂々と宣戦布告する筈が、外務省職員の不手際により不可能となり、不意打ちの汚名を着せられるやうになる。結果として蚤のやうに奇襲することになった。しかし奇襲は卑怯な悪事であらうか。古来、日本では神が強敵を大量の酒で眠らせて、寝込んだところを討った。皇子が女装して敵を油断させて討った。古事記にも書いてある。正攻法で戦ってゐたら負けてゐただらう。しかし武士道に悖るとして非難する声もあるだらう。日本人が理想とすべきは蚤か蚊か。津雲国利の蚤蚊問題はわれわれも悩ませる難題ではないだらうか。

 

 

オリンピック号に乗った市倉眞吾

 『学友会雑誌』は東京府立第二中学校学友会発行。第18号は明治44年12月発行。府立二中は現在の立川高校。全75ページ中、卒業生の市倉眞吾による「太平洋横断記」が42~56ページを占めてゐる。正誤表で太平洋を太西洋と正してゐて本文も全て太西洋だがこれも間違ひで、本当は点がない大西洋。その大西洋横断記が質量ともに充実してゐる。
 これは市倉による豪華客船、オリンピック号の乗船記だった。オリンピック号は有名なタイタニック号の姉妹艦で、こちらの方が姉で6月に就航したばかり。2艦はそっくりだったため、タイタニック号事件にまつはる陰謀論で話題に上ることがある。英国のサウザンプトンから米ニューヨークまで6昼夜の船旅で、市倉は二等船室。全員で3000名もの乗員乗客がゐた。船内には図書室、テニスコート、水泳場、トルコ湯、電気湯、病院、理髪店などがあり一つの町のやうになってゐる。エレベーターは4台もある。
 持ち帰ったものだらうか、8月9日付の食事の英文メニューが掲載されてゐる。同船の日本人はほかに2人で、大久保・高千穂学校教師の堀内泰吉、富山県出身で写真が得意な立島清。船上生活では外国人からキリスト教の布教を受けて閉口してゐる。

仙人のやうな人が僕に話しかけた、貴君は日本人なりやと、イエースと答へたのが不幸、彼は滔々数万言、基督の徳を述べ立てゝ僕に口を開く暇さへ与へぬ、遂に一時間あまりも甲板上に立たせられ、説教を聞かされたのである、

 日本人は3人とも彼に捕まったとぼやいてゐる。12日は運動会。前日には寄付金が集められ、市倉も金を取られた。当日は風強く波も少し高かったが予定通り実施された。目録とあるがプログラムのことだらうか、それが美しく印刷されて配布された。競技が一つづつ説明されてゐて興味深い。サツク・レースは袋の中へ両足を入れて跳んで競走する。ピロー・フアイチングは太い棒に2人が向かひ合って座り、右手に枕を持って打ち合ふ。左腕は自分の背中に回して使へない。座ってゐる棒から落ちたら負け。
 市倉が珍しく感じたのは船上で初めて迎へる日曜日の様子。英国国教会により、大食堂で礼拝式が行はれた。日本人含め200人が集まり賛美歌を歌った。日曜の遊戯は一切禁物で、投げ輪やボール、将棋盤はどこかに隠されてしまった。市倉は観察する。

食ひ且つ働きて精力常に五体に漲り切つてゐるのは大いに羨ましい、日本国民の大問題、いかにして此動物力の盛なる人種と平和の競争をなすべきかといふ事である。

 それに引き替へ日本人は消極的だ。女が少し活発になるとお転婆だとか生意気だとか陰口を叩く。男は沈黙を美徳として弁舌の練習をしない。倹約だといって米に塩をかけた食事だけで満足して横になる。これでどうして米国人たちと競争ができるか。

我が同胞よ、汝の眼をあげて高く見よ、広く察せよ、而して深く考へよ、高枕安臥の時にあらず醒めよ、醒めよ、あゝさめて以て努力せよ。

 オリンピック号の乗客たちは男も女も運動し、飲み、食べ、歌ひ、活気がある。この様子を目にして、市倉はまるで正反対の日本人の将来を案じるのだった。続く。

 

 

 

・目時美穂『共古・山中笑の忘れ残りの記 キリスト教と民俗学のあわいを生きる』(文学通信発行、令和8年1月発行)拝読。江戸幕府の瓦解の様子、明治のキリスト教伝道、そして初期民俗学が山中笑の生涯を通して明らかにされてゆく。江戸・東京・静岡の地理、幕府の職制などがよく調べられてゐて参考になる。山中のキリスト教の信仰と民俗学の研究の関係を性急に結論付けず、不明なことは謎のままにする姿勢が好ましいと思った。宸筆が晨筆になってゐるのと鳥居龍三の名前が違ってゐるのが惜しかった。

河村目呂二展拝観記

 「生誕140周年記念 『猫珍奇林』河村目呂二のクリエイション」は横浜・人形の家で令和8年4月4日から6月28日まで開催の展示。愛猫家、創作招き猫作家、趣味の団体「我楽他宗」への参加などで知られる河村目呂二の作品を見せる。
 寝転んで読書する女性の人形もある。読書する女性は古くからある画題だが、このやうな姿は一般には行儀が悪いといはれたのではなからうか。「接吻」は、すの子夫人とみられる女性が猫に接吻する彫刻。現代の「猫吸ひ」をしてゐるかのやうにみえる。河村すの子の彫刻作品に魚と女シリーズがあり、魚の上に女性が仰向けに寝てゐたり、跨がってゐたりする奇想もの。女性が小さくなったのか魚が大きくなったのか分からないが、戦時下の昭和17年にこのやうな発想と創造をしてゐたことに驚かされる。すの子は東京と大阪両方の日本橋を自転車で走破する東海道中飛車栗毛にも参加。創作雛人形にも手腕を発揮する。目呂二を支へた面だけでなく、すの子個人としての活動にも光が当てられつつある。朝ドラにぴったりの夫婦ではないだらうか。
 目呂二の創作活動のうち、グラフィックデザイナーとしての面もこれから再評価されると思はれる。雑誌の表紙も手がけてゐて、『キネマ』『秀才文壇』『新公論』『講談世界』『處女』など数十冊に及ぶ画業が数秒ごとに切り替はる映像作品で紹介される。実物で一堂に展覧されたら壮観だらう。
 5月30日にはトークイベントが行はれ、河村夫妻の曽孫の内山舞氏、宮城県美術館副館長の濱﨑礼二氏が登壇。内山氏は目呂二の日記や書簡の解読を進めてゐて、創作の心情、夫婦のやり取りがこまやかに描かれてゐることを紹介。満洲の鄭孝胥総理の胸像を制作する様子をスライド写真で上映するなど、知られざる一面を披露した。濱﨑氏は目呂二が晩年に龍興といふ名を使ひ始めたのは、心境の変化があったのではないか、と創作者の立場から言及した。
 『ねこの先生 河村目呂二』は荒川千尋著、板東寛司装幀・写真。新潟県村上市の有限会社風呂猫発行。平成22年9月初版、令和6年6月改訂版発行。図録風のつくりで、目呂二の招き猫や人形、絵画、写真資料、随筆漫話などがオールカラーで楽しめる。「新福の神」売り出し広告には、福助や大黒様では古臭く、ビリケンやキユーピーでは唐物臭く、福の神が一寸品切れのところに「ひょっこりにやんと出現ましましたのがこのマネーキー猫」などと謳ふ愉快な文章が掲載されてゐる。名刺には「各種神様製造所主」と刷り込んだ。他にも目呂二の文面には「歌舞四季怪者」「本業苦真迷町」などとあり、これは株式会社や本郷区神明町のもぢりだらうが、洒脱さが突き抜けてゐる。
 『目呂二くさぐさ』は内山舞・内山朋彦著、長野県軽井沢町の目呂二ライブラリィ発行、令和4年9月発行。小さめの2L判で手軽に広げられる。グラフィックデザイン、戦時中に物資に不自由のなかったときを思ひ出して描いた菓子帖、すの子の制作物など、『ねこの先生 河村目呂二』になかったものが見られる。

 

 

ほんみち(岐阜)「ドロンパは戦前の天皇制」

 

  『天理教話 天理解説(正解)』は天理教の講話を一冊にまとめたものではなかった。ほんみち(岐阜)発行、昭和48年9月発行の非売品。奇書。天理教からほんみちが分かれ、さらにほんぶしん、みろく会などが生まれた。ほんみち(岐阜)は大阪のほんみちとは別法人。用語は天理教と共通するが意味の違ふものもある。人名も教祖様が中山みきといふのは分かるが岐様、美様、台様、玉姫様、みろく様などが出てきて同一人物の別名の場合もあり、正確に理解するのは難しい。内容は天の理の正しい解説なのだが、数字や漢字の意味付けが語呂合はせや言葉遊びのやうな装ひで説明されてゐて、稀代の奇書といへる。通読したが読解力不足で内容を十分理解できたとはいへず、不正確な部分もあるかもしれないがあらかじめご了承願ひたい。

  地球は365・25日で太陽を一周する。36はみろく菩薩、5は正の字から正解・完全を指し、指の数から切り替へや立て替への理を表す。

 二五とは昭和二十二年五月岐様がほんみち(かりや)へ御入信なされてから二十五年目の昭和四十七年を現わしたものであり、この年から「世界統一論」が出され、道も世界も切り替わっていくという理を現わしたものである。

 年齢のことを才や歳といふが、これは動物の犀に通じる。

犀は人間の正体を現わしているのである。つまり犀は近眼で遠くが見えず、近くだけしか見えんように造られている。だから目の代わりに耳や鼻が発達しており、匂いとか音で判断していくのである。これは目先のことしかわからないという人間の姿を現わしている。

犀は一日四回食べる。人間も食事は三度であるが、午後三時のお八つが入って四回になっている。また犀は鎧のようなものを着ている。皮は非常に厚い。人間も犀と同じく心に鎧を着てカムフラージュし正体をごまかすから、犀の姿をもって知らせてあるのである。

 端午の節句の解説では、午から馬、丑、牛の意味に展開する。 

俗に「うま(美味いの理、馬・午の理)勝った、牛(丑)負けた」ということばがあるが、これがそのまま道の型を現わしているのである。つまり午(丑の理)というかりや・みろく会は岐阜という午(馬)に〝ぎふっ・ぎゅう(岐阜の理)〟と牛耳られてしまうという理を現わしているのである。

 昭和天皇が丑年生まれであることから、終戦により、弾圧されたほんみちが天皇率ゐる帝国政府に「まず勝った」。しかしこれは「不味かった」でもある。

この理は〝おい、C勝った〟という理になり、Cは英語のチャンピオン(選手権保持者、第一人者)の頭文字のCの理で、この世界の主宰者・月様名代の岐様の理を示し、©(マルシー)となれば丸は三六〇度・三六(みろく)の理で、救世主・みろくぼさつの岐様の理を示し、©の略号の意は出版物に対する版権所有という出版権を現わし、つまり著作物の複製販売に関して専有する権利のあることを意味するものであるから、©はこの世の造り主である月日様から四人棟梁の主権者で第一人者である岐様が、この道いっさいを支配し、かつ専有する権利を託されておられ、またその権利を所有されているという理で岐様の理を示すのである。

 「おいしかった」から出版物の所有権へと、まさにウルトラC級の理が展開される。目次を見たときから気になってゐたのが「お化けのQ太郎」。Q太郎はほんみち台様=大西愛治郎の理を表してゐる。正ちゃんの正にも意味がある。

Qちゃんは犬に弱いということは、台様はワンちゃんに弱かったということで、このワンとはワンツースリーのワンで、ワンは一であり、一は日様着想の理(二は月様構想完成の理)で日様名代の御教祖様の理に当たるから、台様は御教祖様に弱かったということ。(略)米国産のお化けのドロンパによってQちゃんはよくいじめられるが、このドロンパとは戦前の天皇制の理を現わしている。ドロンパが米国産ということは、今上天皇は一九〇一年(明治三十四年)の丑年のお生まれであり、いわゆる二十世紀を代表しておられるからである。

 米国といへば、日本列島は世界地図を表してゐることが説明されてゐる。北アメリカ州=北海道地方、南アメリカ州=台湾、アフリカ州=九州地方などに比定される。北米にはライオンはゐないが中南米にジャガーがゐる。

ジャガー(アメリカ虎という、中南米にいるのであるが、中央アメリカは北米州の圏内)がおり、北海道はジャガイモ(おジャガという)の産地である。

 北米はジャガー。北海道はジャガイモ。ジャガが共通してゐる。北米にジャガーが生息してゐるならまだ分かるが、実は中南米にしかゐない。これは中米は北米州の圏内だからだと説明される。ジャガーは昔は北米にも生息してゐたから、と説明した方がスッキリするのではないだらうか。東大は灯台、大阪大学(阪大)は飯台、京都大学(京大)は鏡台などの理も多数示されてゐるが、長くなるので割愛したい。

 あらゆる物事に意味が与へられ、広がってつながって限りがない。普通は気が付かないやうなことに気が付くことにより、世界が説明されてゆく。困惑と納得が入り混じる奇妙な感覚に襲はれる奇書。奇書とされる『ドグラ・マグラ』は不思議な話だな、入り組んだ話だなと思ったぐらゐだった。『天理教話集』の読者はどんな感想を持っただらうか。

 

・『コミック神祇03』は颯田直斗発行、平成29年3月発行。24ページ。日本神話や神道に関する4コマ漫画集で、1ページに1本のゆったり編集。うち2本が吉田兼倶で、一年が三百六十五度四分度一であることが兼倶の書いたものに見られることも取り上げる。

 

 

 

 

 

 

楠木神社建立を計画した高塚彌市ら

 『楠公宣揚会創立趣意書 附目論見書会則』は京都市下京区の楠公宣揚会創立事務所発行、昭和8年3月発行の冊子。14ページ。趣意書によれば楠木正成が生まれた大阪府南河内郡赤阪村大字水分には、草木に埋もれた小さな碑しかない。そこで有志たちが楠公誕生地保勝会を組織して楠木神社の建立を計画し、神苑の設置、参道の改修、誠忠堂などの休憩所を新設した。建立計画は一旦頓挫したが大正5年に天皇陛下から御下賜金を拝戴し、翌年には皇太子時代の昭和天皇が行啓し秩父宮殿下をはじめ宮様方が台臨になりお手植えも行はれた。このやうな光栄がありながらも神社建立といふ当初の目的を果たすことができないでゐる。

 昭和10年5月の楠公600年祭を期してその目的を達成するため、楠公宣揚会を組織して、楠公親子や王事に尽くした一族を祭神とする楠木神社を建てたい、紀念塔も建設したいので協力をと呼びかけてゐる。発起人は赤阪村長の高塚彌市、楠公誕生地管理者の仲野音松、同村助役の松本翠、赤阪尋常小学校長の山本皎、在郷軍人会赤阪分会長、内田梅吉の5名。世話役として陸軍少将の杉村勇次郎、陸軍歩兵大佐の平野晴次郎、陸軍歩兵中佐の吉見沢光三郎、陸軍三等主計正の竹田久太郎、建設技師の中路耕の5名の名があり以下略となってゐる。

 目論見書によれば総額150万円で土地買収費10万円、土木工事費10万円などと定める。会則は24条からなる。ご祭神は大楠公小楠公、楠公夫人、楠氏一族。会員は7種に分かれ、寄付金により一時金1円の準会員から同1万円以上の名誉会員まである。先述の楠公誕生地保勝会は楠公宣揚会が事業に着手したのちに合流させる計画とある。

 楠木神社と名の付く神社は各地にあるが、赤阪村には存在しない。皇族とのゆかりがある上、この頃は楠公600年祭で崇拝熱が高まったとき。それでも神社建立は実現しなかった。かういふ寄付を集めるときは全国的に知名度のある人物たちの名前を借りるものだが、この会の発起人は地元の人たちばかり。世話役もあまり地位が高い人ではない。そもそも楠公宣揚会の活動実態が殆ど伝はってゐない。

 

 

丹澤美助「我等と共に盆栽境に遊べ」  

 『盆栽界』は盆栽界社発行、昭和15年10月号が第1巻第1号。創刊の経緯などは記されず、第三種郵便物認可は昭和13年5月7日と2年以上さかのぼる。グラビアには盆栽の作品が多数掲載されてゐるが、街頭スナップもある。建物全体が蔦で覆はれた虎ノ門の交番。10年でこの状態になったといひ、時局柄カモフラージュに持ってこいだと笑ふ警官たちは盆栽趣味者たち。

 巻頭言の「盆栽報国」を田中啓文が書いてゐる。盆栽趣味がいかに素晴らしいかを力説する。

○俗悪、淫猥な娯楽を排除し、清新にして健全なる娯楽が生活の活力素として之れに代るべき時である。

○其の娯楽は吾人の趣味とする盆栽が最適である事は贅言を要しない。

編輯後記にも同趣旨の文章がある。

不健全な廃頽的な趣味や娯楽そして人的物的資源の濫費があつてはならない。然るに我が盆栽道は日本民族の誇るべき特種芸術であるのみならず、単に国民的趣味の見地よりしても、時間物資を浪費せず大和魂の真髄に接触して無限の精神力を培ふ。

   非常時における盆栽道の使命は頗る重い。

 誌面には盆栽理論、培養の実際、名士訪問などの記事が並ぶ。丹澤美助の「盆栽境に憧れて 貧と病と職の三重苦より温き健康の春へ」は自身の人生を振り返る。父の借金と自身の病気で15年間苦しんでゐたが、盆栽に出会って一変した。 

我れ、前半世を涙に送り、後半世を笑ひと感謝とに終らんとして居る。而して我が前半世には盆栽なく、後半世には盆栽があるのである。

 友よ来れ! 世の凡ての友よ来れ! 而して我等と共に盆栽境に遊べ、されば世界は悉く我等のものである。 

 愛盆生活は人生に光明と法悦をもたらす。至楽の境地、絶対の世界、歓喜の人生を手にすることができると、盆栽趣味を熱く語ってゐる。

 

 

 






 

三浦一郎「八百万の神が制定した『宇宙憲法』」

 『真の世界連邦とは』は三浦一郎著、奥付なしの小冊子。28ページ。

 三浦は明治37年8月25日、青森県生まれ。古事記、九鬼古文書、日猶関係についての著書があり、大本の人類愛善会宣伝部長も務めた。「世界連邦宗教者大会万歳」の一文には昭和50年6月の時点で、健康を害し京都市の日赤病院から読み書きを禁じられてゐたこと、それが3週間ほど前に解禁されたことなど近況をつづってゐる。冊子の内容は『中外日報』昭和46年5月ごろの連載、『朝陽新聞』、人類愛善会宣伝部発行の栞、新しく書いたものの抜粋などからなる。主に出口なお、王仁三郎、『人類愛善新聞』、『朝日新聞』の文章を解説するかたちで、世界連邦運動を推進する理由、宇宙論を展開する。

 朝日新聞の記事とは昭和20年12月30日付の王仁三郎の談話のこと。

自分の都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。(略)いま日本はすっかり軍備はなくなったが、これは世界平和の先駆者としての尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときに初めて実現される。いまその時代が近づきつつある

 別格官幣社と思はれる神社への批判や日本国憲法を先取りするやうな見解を示してゐる。

 人類愛善新聞の記事は昭和26年ごろに西村朝喜画伯が描いた「宇宙連邦の漫画」のこと。宇宙連邦結成準備会に地球代表も出席したが、地球は領土紛争や差別が解決されないので参加を拒否された描写があるといふ。宇宙連邦に参加するために、まづは地球を一つの統一体にしなければならない。それが地球連邦であり、世界連邦である。世界全体で守るのが世界憲法だが、大本ではさらに宇宙憲法を見てゐる。宇宙憲法はこれからつくるのではない。すでに過去に存在してゐた。

無始久遠の太古に高天原において「宇宙政府」が成立し、天の安河原の聖場に八百万神が集会して「宇宙憲法」を制定し、天上天下を〝安国(やすくに)と平らけく〟治めるべき祭儀が行なわれたことはご存じの通りである。

 大本では宇宙は神界・幽界・現界のすべてを指す。三千世界の立て直しといふのも、日本だけ、世界だけの話ではない。もっとはるかにスケールの大きなものを指してゐる。われわれは地球の地球人であるとともに、宇宙の宇宙人でもあるといふ自覚を持たねばならない。宇宙人が守るべきものが宇宙憲法であり、宇宙憲法とは星の運行や季節の移り変はりなどを支配する天意といひかへてもいい。世界憲法はこの宇宙憲法を見習って制定すべきだと説く。世界連邦も宇宙連邦に入るために必要なものである。世界政府に類した構想をした先人として、安藤昌益、大国隆正、小野梓、中村敬宇、樽井藤吉の名前が挙げられてゐる。