山根菊子の遠縁の山本虎三

 久方ぶりに『生きてきた』(山本敏雄、南北社)を取り出す。p183がやたら濃い。

 友人の一人宿田倍達は、ナチス・ドイツユダヤ人追放政策に歩調を合せるように、ユダヤ人のいない日本で、排猶同盟を結成した愉快な人物であった。陸軍のナントカ中将をバックにして、専らユダヤ反対の文書宣伝をやっていたが、これがドイツの新聞に載って、日本の宿田倍達として大写しの写真が出ているのを彼からみせられて、私は驚いた。いまや、彼は世界的な排猶運動の英雄なのであった。
 ところが一方には酒井将軍という不思議な老人がいた。今のイスラエルにあるユダヤ人の国際的な本部から支援を受けているらしく、ユダヤの世界国家運動を宗教的な立場で」展開している人物だった。
 また、私の遠縁筋に当る元婦人参政協会々長の山根菊子は、私の手伝った雑誌「女性の時代」を改題して「世界の日本」と改め、内縁の夫児玉天民を編集者として、奇怪な動きをはじめていた。
 栃木県の黒磯に皇太神宮なる社祠があって、その社殿の下に埋められている壷のなかに、十戒石と称される石が納めてあり、これに神代文字が刻まれている。これを訳すると、モーゼの十戒で、これにはまた、キリストが日本の皇祖の流れを汲んで後世に誕生するという予言も含まれていた。つまり、日本とユダヤは親戚筋で、日本は世界の中心をなす聖地だ、と立証できる重要な証拠物件なのだ。この一味によれば、キリストは、イスラエルゴルゴタの丘で十字架にかかって死んだのではなく、青森八戸で死んでいるという事蹟も青森の現地にある。
 山根菊子は、戦後新宿区会議員となり、「光は東方より」という一書を著し、これは映画にまでなって海の彼方にまで渡った。キリストと日本の皇室が一しょくたになったので、戦中、彼女は不敬に問われたようだ。誰がこんな荒唐無稽な説を仕組んだものか、不思議にみたされた彼女の動きであった。彼女は近年にも「キリストは日本で死んでいる」という著書を出しているから、その確信は宗教的である。
 酒井将軍(これは姓名)は、山根菊子と気脈を通ずるものがあって、私は某日、日猶協会々長酒井将軍を訪ねた。ユダヤ民族に結びつけて、日本が世界の中心だという山根菊子説の本源が、この怪異な人物から出ていることが確められた。私は、この男は喰わせ者ではなかったかと思っている。

 排猶論者の宿田倍達とは友人、山根菊子とは遠い親戚、酒井勝軍とも面識あり。多彩な交友を縦横にして遂に己の黒旗を黒く染め上げたやうな男がアナアキストの山本敏雄こと山本虎三だ。