男は居るが女は居ない‐捕はれの幽蘭おばあさん

 『八光流』は奥山竜峰創始の護身術の機関誌。写真頁には女性が大男を投げたり、海外へ発展する様子が載ってゐる。論調が独特。保守派と言ふよりも戦前の浪人連の雰囲気がする。
 昭和42年8月号に「満州秘話 幽蘭女史救出記(1)」。著者の小出忠義は当時協和会弁事顧問で医者。皇方指圧師とあるので、その縁からこの体験記を寄せたのであらう。 満州建国の年の8月17日午前三時、知り合ひの白系露人、プイコロリザ・アレキサンドロヴナが馬橋河の小出宅を突然訪問した。一昨日、50歳位の日本人のおばあさんが拉致されたので自分たち白系露人のみで救出したい、ついては許可がほしいと言ふ。
 小出は軍情報で、八道河子(パードアーズジヤン)での匪賊襲撃事件のことだと察しがついたので、日本人の自分が処置すると請け負って、ムーリンの連隊本部に向かった。
 井上連隊長は「あのおばあさんは、本庄幽蘭女史といふ有名な女で皇軍慰問の為、来満中だ。ボクラニチナヤ(綏芬河)を出発する際に装甲列車に乗ればよかったのに普通列車に乗ったからいけなかったのだ。軍としても面子があるからなんとかして殺されないやうに女史を救ひださなければならん。しかし武力では絶対に不可能であるから何とか君の力で救ひ出す方法はないか。君は満州国に長くゐて、満人の性情に通じ現地事情にも精通してゐるし、満人間には顔も広いのだから適任だと思ふ。この際是非君にお願ひしたい。一肌脱いでくれ」と言ふ。
 了解した小出は軍の将校と事件状況を調べた。匪賊らは車両を脱線転覆させ、乗客から貴重品や携行品を没収し、大部分を連れ去った。乗客300人中殆どが白系露人・満洲人・朝鮮人で、日本人は小池と石塚といふ国道局技師の男性、それに女性は幽蘭女史一人の三名。男二人は便所に逃げて頑丈な錠を掛けてゐたので助かった。
 小出による幽蘭女史の経歴は当時年齢55、東京女子大卒業後、日本最初の婦人新聞記者となり某子爵の二男と結婚後死別、某博士と再婚したが折合い悪く別れる。日蓮宗に帰依し断髪、首に数珠かけ墨染めの衣。満洲には将兵慰問にやってきた。
 百姓らの情報によると匪賊は東山好といふ大頭目。直属団員千人以上で、近代武器弾薬多数。そこで使者に手紙をもたせて日本人のおばあさんが居るかどうか照会した。その返事には「男は居るが女は居ない」。頭も服装も男だったから見た目にはわからなかった。
 後に女史が小便したので女だとわかった。解放を要求したが、匪賊は居場所がわからないように移動するので進展せず、二ヶ月が過ぎた。女史には麦粉や菓子の食料品、衣類等を差し入れた。 

 情報によると女史は山野を引きづり廻されるので、木の枝にひつかかり衣類はぼろぼろになり乞食同様の姿である由、全く酷い目に合っている様子でした。私は、到々単身匪賊の中に飛び込んでいく決意をして井上連隊長と打ち合わせの上、十一月十五日決行する事にしました。女史救出の完遂まで軍は絶対に討伐には行かないという条件のもとに。

 第一回はここまで。