2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

天職のやうに新聞を読まれた昭和天皇

続き。「宮廷記事の書き方」は藤樫準二・毎日社会部顧問と田中徳・共同社会部の対談形式だが、話題は書き方にとどまらず、記者生活の回顧、天皇と新聞など多岐にわたってゐる。 これによると昭和天皇はよく新聞をお読みになった。「新聞は天皇の天職のように…

秋山安三郎「新夕刊は東京で一番悪い新聞」

『新聞講座 編集編・Ⅱ[東京講座]』は日本新聞協会の発行。昭和24年5月25日発行。定価3円。手元のものにはグラシン紙のやうなのが貼り付けられてゐる。 序によれば前年の編集編が好評で多数の注文を受けた。「その主な理由は内容が専門的でありながら現…

救癩事業でヘルストロンを寄贈した笹川良一

世界紅卍会日本総会が発行してゐた月刊誌『日本卍字月刊』。編集発行人は林出賢次郎、笹目恒雄らが当たってゐる。合本を読んでゐたら、笹川良一がよく出てくる。笹川は道名を正謙といひ、昭和42年9月10日の訓令で東京総院の首席責任統掌になってゐる。…

式場隆三郎の病院で息子を亡くした岡村二一

東京タイムズ創立者で共同通信副会長などにもなった岡村二一。『岡村二一全集』(永田書房、昭和59年9月発行)全二巻がある。題字は中西悟堂、装丁は李友唯。第二巻が随筆・小説といふことになってゐる。もっとも「わが人生」「わが半生記」「小説 女の地図…

夕刊も無かった讀賣新聞

讀賣新聞が50,000号を迎へたさうなが、回顧の紙面では昔の様子がよくわからなかった。そこで高木健夫『読売新聞・風雲の紳士録』(昭和49年12月、読売新聞社)を読む。高木は「編集手帳」発案者にして初代筆者。帯の惹句に「回想の“名記者”群像」と…