「ネクタイ、ハッピみなこれあなたから受く」by鮫島純也

下積半人「無軌道恋愛記」は非凡閣の『実話雑誌』昭和六年九月号(一巻六号)所収。時の逓信大臣小泉又次郎の御令嬢、小泉芳江が実家を飛び出して恋人鮫島純也の下に駆け込むまでを描いてゐる。
 実際の事件を基にしたのだらうけれども、脚色が多くて何とも言へない味がある。
 鮫島は虎ノ門アパートに住んでゐた。そこは全東京のモダン娘・インテリ女性・職業婦人・高級女給らの憧れの家だったさうな。六本木ヒルズみたいなものかしら。
 芳江嬢が鮫島にネクタイをプレゼントしたうへ、結んであげる会話も「再現」されてゐる。

「ネクタイ、ハツピみなこれあなたから受く、敢て毀傷せざるを孝の始めと心得とるです」
「たんと人を馬鹿になさいまし」
「ごめんなさい、冗談ですよ」
「ほゝゝ」
「はゝゝ」

勿論これは孝経の「身体髪膚之父母に受く…」のもぢり。鮫島が学があって頭の回転が早くて、話が面白いので、女性にもてたのを表現したのがわかる。其の前には 

「おや、その煙草ケースまだ持つてらつしやいますの」
「へえ、これもあなたから恩賜のものだと思つて愛用してゐます」
「まアお口がうまいのね」
「いえ、まつたくです。捧げ持つて余香を拝しとるです…」

とある。これは菅原道真が配流された大宰府で、以前に帝から下賜された着物の香りを拝して、往時を偲んだと言ふ故事に基づく。こちらはなんだか不敬な匂ひもする。
 

 こんな二人にできた子供は純一郎と名付けられた。