2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

乃木・弦斎・孫文

週刊現代巻頭の磯田道史さんの書画骨董めぐり。この雑誌で水戸学とか阪正臣とかの文字を見るとは思はなかった。乃木さんの書簡は「学習院長伯爵乃木希典」とある。伯爵と自署するのですね。 店は三玄洞、森井書店、妙童など。でもよくよく読んだら、明治古典…

藤沢清造の別れ話

『生きてきた』を一章ずつまとめるとしても全30章…、週刊プレイボーイに、西村賢太氏が藤沢清造資料に2000万円かけたといふ記事があったので、途中をすっとばして今回は第14章。 山本は東京日日新聞のサービス紙として創刊された婦人毎日新聞に入社…

小次郎が居ない理由

寺田小太郎『わが山河』(発行者:寺田小太郎、発行日:平成20年4月12日、非売品、表紙:中路融人)より。昭和2年、東京市淀橋区角筈(現、東京オペラシティ)生まれの造園家の生ひ立ちと随想をまとめた縦長の冊子。43頁。正誤表付き。 数百年前に近江から…

井箆節三の紹介で一燈園に行く

続き。宮地嘉六の小説「放浪者富蔵」を読んで放浪に憧れる。郵船ビルで肉体労働をするも一日で音を上げる。四十年後、同じビルにジャーナリストとして通ふやうになる。三共商会という日傭任人夫供給業者から派遣されて目黒のエビスビール工場で働く。壜の上…

煙草を買ひに来る吉田松陰

続き。そもそも山本家は長州松陰神社の正面で、境内の1/5は山本家のものであった。吉田松陰は塾から山本家までよく煙草を買ひに来て、歩くときは何時も何か考へる風であった。伊藤博文の父は米搗きに来て、後に博文はお礼に揮毫を書きにきた。 山本家と対…

ある不成功者の自伝

『生きてきた』(山本敏雄、南北社、昭和39年11月)は地味な本だが内容は頗る濃い。山本は本名の山本虎三時代にアナーキストとして名を馳せ、文学史には平林たい子の夫として記録されてゐる。夫妻であったのは確かだけれども、山本の人生の一部でしかない…

野村秋介も怒った古都税問題

いち早く白洲次郎について描いた鶴見紘。鶴見が右翼について書いたのが『右の翼西方に翔ぶ 加藤矩敏口伝』(修明学園出版局「右の翼西方に翔ぶ」刊行会、平成2年7月30日)。白洲連載の最終回ごろに昭和天皇のご容態が悪化してゐた。鶴見は女性週刊誌編集者…

神官が見た熱田神宮の神剣

その頃の私は考古学という学問があることは知りませんでした。初めて知ったのは一九四六年の四月、明治大学に入ってからです。専門部の地理歴史科に進んだのですが、ここに後藤守一という著名な考古学者がおられて、「三種の神器の考古学的検討」という講義…