2018-01-01から1年間の記事一覧

女郎屋の主人になった中江三吉

続き。『向上』主筆の宮田脩は同号に「青楼に近江聖人の後裔を訪ふ」も載せてゐる。蓮沼門三から、近江聖人こと中江藤樹の子孫が女郎屋の主人になったといふ話を聞いた宮田。早速横浜に、その中江三吉を訪ねた。 電車を下りてからの風景と心の描写が秀逸。 …

宮田脩「野依秀市は沙漠のオアシス」

修養団の機関誌、『向上』。明治45年5月号の第5巻第5号に、横山三義「野依君は果して吾等の学ぶべき人物か」が載ってゐる。目次では「野依氏は果して吾人の学ぶべき人物か」。 蓮沼門三から「野依は奇狂な点もあるが珍らしい人物である交際して趣味のあ…

山口二矢神社建立を計画した高津大太郎

「“山口二矢神社”建立計画」といふ記事が『アサヒ芸能』昭和35年11月20日号に載ってゐる。本誌・大歳成行の署名。 3ページのうち、はじめに山口の眼鏡のない遺影、護国烈士山口二矢君国民葬儀実行委員会事務局と治安確立同志会の表札がある事務所の写…

正富汪洋「断じて負けてはならない」

『歌集 やまとたましひ』は岡山出身の詩人・歌人、正富汪洋の著書。昭和19年3月、詩と歌謡の社刊。質素な装丁で著者名は表紙になし、背と奥付のみ。書名は表紙・背・扉がやまとたましひ、奥付のみ、やまとだましひ。 昭和18年7月付の自序を読むと正富…

宮林得三郎「零点以上に評価される気遣ひのない私」

宮林得三郎『戦時下の世相に対して私は斯く叫びたい』は昭和13年11月、京城での刊行の小冊子。非売品。表紙に「自由主義的個人主義思想を排撃して国家全体主義思想高潮運動を提唱す」ともあるので、著者の主張が分かる。 手元のものには「この小冊を江湖…

清水八十治「こんな旨い物ばかり食べていたら、人間は堕落してしまうぞ」

『八十路 人々の縁に支えられて』は清水八十治自分史編纂委員会編、平成14年4月刊。清水八十治は自分の名前から、八十二歳まで生きることを目標にしてきた。念願かなって改めて生涯を振り返りまとめたのがこの書。 世間的には、吉田茂の秘書として長野か…

水原兵衛「余りに悲しむべき世の様にあらずや」

『日本及日本人』大正15年11月1日号、第111号には、井上哲次郎の不敬著書問題を糾弾する文章が多数収められてゐる。井上の著書『我が国体と国民道徳』に国体の尊厳を冒瀆する箇所があるとして、頭山翁らが運動したもの。 無記名論文「滔天の悖逆は其…

本が好き過ぎ鍛冶忠一

『とりもの随筆 お天気博士言行録』は日本出版販売の鍛冶忠一の著、学風書院、昭和30年8月。高橋ゆり装丁。 表紙、奥付などはサンズイの治、本人の「おひとよしの言葉」(序にかえて)はニスイの冶。 本にまつはる随筆集。著者は本の取次業なので本が売れ…

野間清治「『思想善導』たゞ四字であります」

『野間会設立につき 全日本の人々に告ぐ』は昭和7年5月26日に帝国ホテルで行われた、野間会発会式の様子などを記録した冊子。野間会は野間清治の信念を世に広め、思想を善導し、社会を浄化し、皇国の隆昌を図り、新興日本を建設するのだといふ。 野間の…

加藤美侖「よいものは何万年経ってもよい」

『三大聖勅謹解』の表紙には摂政殿下台覧、若槻礼次郎推薦、岡田良平推薦、高田早苗校閲、遠藤隆吉校閲とあるが、著者名がない。表紙をめくった扉にやうやく著者、加藤美侖の名が現れる。現代のムックの形式のやう。 奧付には大正14年12月、第5版のみの…

自由党院外団に入った木内豊助

続き。『わが半生 10人集』は靴業界人の半生をつづったもの。靴業界に入る前の経歴にも面白い人がゐる。 村田金一は明治41年生まれ。「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助の後援会、「松栄会」に入会。機関誌月刊『富士』の編集をしてゐた。毎号1000部…

昭和天皇に靴を献上した磯畑弘太郎

『わが半生 10人集』は靴商工新聞社、昭和47年1月発行。非売品。磯畑弘太郎、大沢義雄、荻津完、木内豊助、佐藤儀三郎、菅沼操、春田余咲、藤原勉、宮崎伊助、村田金一の10人が自らの半生をつづってゐる。すべて明治生まれの靴業界の長老。もとは靴商…

作田荘一「帝国大学は鵺的存在であった」

作田荘一『戦敗れて道明かなり』は昭和27年11月、日新社発行。『祖国』『桃李』などの文章をまとめたもの。はしがきでは、新聞が作田のことを右翼の黒幕だと書いてゐることに触れてゐる。 私如きに踊らされて動くやうな人は一人もゐないだらう。(略)せ…

『大衆人事録』の予約営業をしたピストン堀口

露木まさひろ『興信所 知られざる業界』(朝日新聞社、昭和56年1月、のちに文庫化)読む。表紙の迷路図は安野光雅、装丁前島敏彦。いかがはしい人ばかり出てくる。面白くてため息をついた。 関係者へのインタビューや臨時入所もまじえて、興信所業界の実態…

横松宗「これらの問題はもっと究明する必要があろう」

横松宗『一九四五年―上海』は大分の『邪馬台』70・71号の抜刷。昭和59年発行。 横松は大正2年生まれ、八幡大学学長。魯迅や福沢諭吉の研究者。戦時中は国策会社の中支那振興株式会社勤務。この冊子はその頃の上海や日本の様子を描く。産業課に属し、…

小坂藤若「鎌倉たるものちょっと浮ばれないだろう」

小坂藤若『随筆 あとの鴉』は昭和45年11月刊の自費出版。 年譜によれば小坂は明治28年1月、鎌倉生まれ。本務の八雲神社のほか、11社を兼務する神職。神奈川県神社庁副庁長、のちに顧問。鎌倉市助役も務めた。 書名に随筆とあるが、全202頁のうち…

真壁宗雄「要は日本を再建したいことだけだ」

続き。『日本人ここにあり』には、写真は著者近影しかなかった。『別冊 実話特報』双葉社、昭和37年7月号(6巻7号)では「当代怪物列伝 人間タンク再び始動す!」で真壁宗雄を6頁にわたって取り上げる。動きのある真壁宗雄の写真が沢山掲載されてゐる。 …

大日本帝国残存政府内閣総理大臣のつもりだった真壁宗雄

『日本人ここにあり 野人真壁宗雄の生態』は篠田五郎編、平成3年6月、真壁宗雄自叙伝刊行会発行、岩波ブックセンター製作。序文は元日本経済新聞政治部記者の大竹央。 当時存命だった真壁宗雄の生涯をまとめた本。初めは篠田が取材旅行をして多田駿陸軍大…

図書夫だった岡崎功

図書夫となる塵つもる書籍を取りてうち掃ふ 楽しみをもつ身とはなりたり 占領軍の指令によりて多くの図書焚かるこの本(ふみ)もこれやこの書(ふみ)あの本(ふみ)も 軍国主義と焚(や)かる口惜(くや)しさ 岡崎功『歌集 火雲』(第六版)より。昭和43…

時宗神社創建の賛同者たち

『元寇完遂 時宗公の忠誠』は鈴木隆著、時宗神社創建会、昭和18年1月発行の冊子、非売品。鈴木は創建会理事長。 鈴木は元寇から日本を守った北条時宗を祀る神社を創建すべく奔走。阪本広太郎考証課長からも協力を得て、時宗公に関する資料を集めるやう助…

大巴賀参太郎・頓間抜作・螺尾吹太郎の建言

『大巴賀参太郎・頓間抜作建言写』は全24丁。大巴賀は大ばか、と読むのだらう。この2人が明治3年に建言したものの写し。 その建言は突拍子もない内容で面白い。まづ神祇官と宣教使を置いたことに触れる。 宣教の御趣意は五倫の道を廃し貪欲無慈悲の趣意…

会津藩の隠密探偵だった大庭恭平

『上田郷友会月報』の大正4年1月号は通巻339号で三十週年紀年号。編集担当として小林雄吾の署名がある。 後半はすべて小林が書いた、第6代上田藩主松平忠固公の伝記。開明派の忠固は攘夷派の徳川斉昭と対立。斉昭のことは「其の為人や偏にして屈、頑に…

足利尊氏の墓を毎朝起こした吉田妙

『塔影』は塔影詩社発行。昭和61年6月発行の213号は最終号で島本久恵追悼号。「島本久恵略譜」も収める。 島本は明治26年2月生まれ。夫の河井酔茗と女性時代社を興し『女性時代』を発行。恩地孝四郎の表紙が印象的だったと回顧されてゐる。戦後の昭和23年1月…

逆木原秀男「あなたのおカネはその日から生き生きと働くことでしょう」

『おいね殺し 商品相場の内幕』は井出英雅著、恒友出版、昭和46年5月発行。序文は高槻圭。 乾繭や綿糸などに投機する商品相場を勧誘する手口、被害の実態をドキュメント風につづったもの。固有名詞は仮名にしたとある。冒頭「あっため奥さんを狙う」とあ…

海老塚利明「心胆を寒からしめるような記事でいっぱい埋まっている」

『経営攪乱の防衛策 企業の裏街道を行く』は海老塚利明著、昭和39年11月発行。版元の白桃書房は神保町で会社経営に関する本を出版。「マネジメント・ライブラリー」シリーズで『会社はなぜつぶれるか 経営破綻のはなし』を皮切りに『経営昆虫記 人と虫と…

椎尾ひとし「古に復らうとするのは大間違である」

椎尾ひとし(言+同)『一九三六年何のその』は昭和10年3月、創生社発行。名前の言+同といふ字は漢和字典でもでてこない。名古屋の椎尾なので椎尾弁匡の親戚か何かではないか。 当時、非常時といふ言葉がはやった。この書は、非常時とは何かについて、自…

花見達二「奇人変人で一座ができそう」

『昭和記者日記』は花見達二著、昭和43年3月、雪華社発行。日記といふよりも、近衛文麿や松岡洋右、吉田茂ら政治家や言論人の思ひ出から政治史や戦後史を論じたもの。 はしがきにいはく マスメディアの一部の世界では、頭からひとつの概念で人物や事柄を…

平井義一「ロスアンゼルスに着いたら油田に火をつけるんだ」

『応援団長』(平井義一、昭和39年10月、創元新社)は平井義一が波瀾万丈の半生をつづったもの。挿絵は笠井一。平井は大正2年3月、現在の福岡県豊前市生まれ。明治大の応援団長、東京の中心、麹町区会議員などを経て、戦後に衆議院議員にもなった。 火…

松室孝良「大東亜戦争といふ名前を付けたのが悪い」

『東湖神社鎮座記念講演集 東湖先生を偲ふ』は昭和18年5月5日の講演会をまとめたもの。紀元二千六百年水戸市記念事業委員会発行。 東湖神社は常磐神社の摂社として創建され、水戸学者の藤田東湖を祀る。4日が鎮座祭で、5日が奉祝祭。 文部省図書監修官…

ネオシントイスト・藤沢親雄の憲法改正論

藤沢親雄の『憲法改正の神道政治哲学的根拠―憲法調査委員に与う―』は発行年、発行所ともに不明の冊子、全77頁。 手元のものは旧蔵者の書き込みがあり、全面に傍線や丸印が描かれてゐて壮観。 岸信介の憲法調査委員への不満を表明してゐるので、昭和32年…