2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

泉鏡花訪問記を褒める野島辰次

『最後の記者馬鹿』(中央公論社、昭和36年6月)を書いたのは佐藤喜一郎。明治34年郡山市生まれで、慶応から時事新報に入社。同盟通信社を経て、産経では常務取締役を務めた。 正直に記者生活を叙してゐて、のちに読む分には面白い。入社一年目に泉鏡花を…

時対協の西武商品不買運動

『時対協十年史』は、大日本愛国団体連合時局対策協議会の、昭和35年から45年までの記録をまとめたもの。目次は「昭和○○年度・会議並運動概要」の文字のみがずっと続くもので、少々味気ない。しかし本文を読んでいくと戦後の世相がよく出てゐる。 マスコ…

堀川辰吉郎「百万円寄越せ」

『力之日本』昭和12年10月号は支那事変特集。 まづ広告に怪しいものが多い。エジソンが使ったといふ健脳機「メモリ・バンド」は脳を二倍三倍に使へる。田螺の黒焼きも猿の頭の黒焼きも狐の舌もある。それぞれ淋病、脳病、痛風患者に喜ばれてゐるといふ。…

徳富蘇峰「どうかきょう死にたい」

『ニッポン女傑伝』(秋吉茂著、謙光社、昭和44年)は、有名無名取り交ぜた51人の女傑のインタビュー集。数が多いので人物スケッチで終わってしまってゐるのが惜しい。 読んでみると、もうこの頃の話も歴史の範疇になりつつある。 痛快なのは谷田春江。名…

被写体になった本荘幽蘭

本荘幽蘭の写真といへば、顔だけ切り取ったコラージュのやうなものしか伝はってゐないと思はれてきたが、実は幽蘭の全身を写した写真がある。それは村居銕次郎の前掲書のなかに掲載されてゐる。 なにしろ村居がゐた毎日電報こそ、幽蘭が在籍してゐた新聞社だ…

横川省三記念公園設立発起人の面々

村居銕次郎(銕城)が設立に参画した新聞は民声新報といった。年譜では社長としての俸給五十円とある。自由党の星亨のための機関紙だったが、星が暗殺されてしまひ困難が多く、その後毎日電報、民声新聞、萬歳新聞と紙名が変遷した。編集長ははじめ国木田独歩…

滅法素敵!村居銕次郎の『銕城記壽録』

村居銕次郎の自叙伝『銕城記壽録』が滅法素敵なのでつい読み耽ってしまふ。 著者は孝明天皇の崩御する三日前に生まれたので、明治と歩みを共にした。世間に出回ってゐる伝記や自伝は嘘ばかり、俗臭紛々、見るに堪えないと感じてゐたさうで、この本は嘘偽りな…