野島辰次の略歴

明治二十五年(一八九二年)東京本郷元町松平伯爵邸内にて出生。父三八郎(松平家の家臣)母せいの四男。明治三十二年(一八九九年)本郷尋常高等小学校‐京華中学‐慶大理財科中退。大正九年(一九二〇年)‐大正十五年(一九二六年)時事新報記者、その傍ら文筆生活をする。「現代文学」「芸術運動」「太陽」等に作品をのせる。大正十四年‐昭和四年「不同調」同人となる。昭和四年五月‐八月「今日」を編集発行する。出版社「雪華社」の編集業務にたずさわる。昭和七年「日本ファシズム連盟」結成。機関誌「ファシズム」発行。昭和十一年雪華社編集長を辞任、同年出版社「大都書房」を創業。昭和十五年創価教育学会に入会。昭和十八年七月二十日治安維持法違反容疑で逮捕される(創価教育学会弾圧により)、それより昭和十九年八月まで十三ヶ月間、四谷警察署、巣鴨拘置所にて拘留生活。昭和二十年四月十四日の東京空襲で罹災、蔵書多数焼失す。昭和二十二年創価学会の在り方をめぐり、戸田城外と議論の後、学会を離れる。日蓮正宗法華講に入講、その間、参学社出版所経営、昭和四十年(一九六五年)二月四日没、七十三才。

『野島辰次遺稿集‐我が心の遍歴‐』(平成四年六月一〇日印刷、平成四年六月一九日発行)より。編集者・発行者・発行所は個人名になってゐる。巻末に、野島が文学雑誌に載せた文章が覆刻されてゐる。『現代文学』大正十三年十二月号には「新井紀一氏の近業‐『落葉の如く』と『雨の八号室』を読んだ後に」。雑司が谷に住んでゐたときに、よく小川未明と銭湯で裸の付き合いをしたといふ。藤森成吉や窪田空穂とも顔を合はせた。