三上於菟吉「謙遜で、内気で、恒に微笑む国民だ。」

 『郷土作家 三上於菟吉讀本 生涯編』は埼玉県の庄和高校地歴部発行。同部の年報第四号となってゐるけれども、220頁の堂々とした研究書。三上の写真に「三上〜読本好評発売中」と吹き出しで云はせ、戸籍など写真資料もふんだんに載せてゐる。よく言へば遊び心満載、悪く言へばごちゃごちゃしてゐる。しかし 発行の1990年当時、高校生なので国会図書館に入れなくても神保町の古本屋や文学館に行って、関係者に聞き取りもしてゐる。近代文学館とあるから駒場であらう、そこで直筆原稿の写真を撮るのに5千円払ふ必要があると聞いて断念してゐる。神保町では「重いカバンを背負って古本屋をまわる時、人生のさびしさを感じる人と、宝物探しの如く嬉々として、水を得た魚のようになる人と人間には二種類あることがわかった」と、勉学以外のことを学習してゐる。
 ウィキペディアには載ってないけど、ちゃんと三上とファシズムのことも記してゐる。昭和6年10月に東京毎日新聞に発表されたのが「日本人の歌」という長い詩。「俺たち、日本人!/それは溌剌たる国民だ、充實する国民だ。/豊殖し、拡張し、爆けて飛躍する国民だ。/」「そして当然、この小花園の埒を越え、隣接する未墾の土を求めずにはゐられない。/」「それは熱烈な国民だ、愉快な国民だ。/謙遜で、内気で、恒に微笑む国民だ。/だが、しかし――」「ああ、国民よ、合體せよ、一致せよ!/食うに乏しく、しかも繁殖する国民が、/豊富な国家資源を獲得して、/自給自足の楽土を形成すべく望んだとて、/」「誰に恥じる必要がある――それが自然の意志だ。」
 領土拡大や政治家・資本家不信が三上の主張だったやうだ。 
 菅[萱]原宏一『私の大衆文壇史』の中では、三上が武藤章に国立宣伝局(のちの情報局)設置の必要を力説。その総裁に城戸元亮を挙げてゐたといふ。城戸は大阪毎日新聞の偉い人。松本学による文芸院構想も紹介されてゐる。

於菟吉をファッショと呼び毛嫌いする人が今でもたくさんいるようだ。また、於菟吉を好きな人はなるべくその事に触れたがらないようだ。しかし、於菟吉のこの時期の論文を読めば、農民を思う熱情、資本家や政党への反発、ナショナリズムの思想は純粋なもので、後にわれもわれもと大政翼賛会になっていった人々より、よっぽど純粋なものだったのではないだろうか(p141)。

これは地歴部員の文章。母校の先輩といふ贔屓目だと言って切り捨てられないものがある。