2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

井上清純「天皇陛下は功徳をお積みになられた」

井上清純は戦前の貴族院議員。天皇機関説排撃や軍縮条約反対運動に関する文章を読むとその名を目にできる。右翼陣営に居たことは確かだが、単なる右翼ではない。『師恩‐井上清純を偲ぶ門下生の回想記』(山崎信一)には、その機微が描かれてゐる。この本は非売…

折口信夫「お前なんか、生意気だ」

『短歌春秋』の昭和九年四月号を読んでゐたら、銀座にあるカフェーが出てきた(柳田新太郎「空穂・迢空・東村 歌客酒談」)。柳田が矢代東村を初めてのカフェーに誘った。尾山は篤二郎、前川は佐美雄。 一昨年の秋だと思ふが、尾山氏を先頭に前川に僕、銀座で…

武藤貞一「社交ダンスは点火された爆発物だ」

戦前、大阪朝日の天声人語を書いて文名高かった武藤貞一。担当してきた長谷川如是閑、永井瓢斎の後を継いだ。某書に、はっきりした物言ひが人気の理由だったとあってへえと思ってゐたら、その武藤の「女性は解放されつゝありや」(『大成』(新政社、昭和9年1…

赤尾敏を転向させた秦真次

『太陽民族の使命』は昭和56年11月23日発行。著者は元木素風こと元木福治で、発行元の日の本教壇の人。ここに赤尾敏の話が詳しく出て来る。 秦真次は陸軍中佐のころドイツに派遣された。そこでホームシックになったが、太陽のありがたさに深く感動。帰国後に…

赤尾敏とザリガニと韓国

『日本』といふ月刊誌は過去にいろいろあった。手元の『日本』は愛国出版社発行。昭和28年12月発行。裏表紙は第一巻第九号だけど表紙には第一巻第三号と誤記。この号は赤尾敏・演説骨子特輯と銘打ち、47頁すべて赤尾敏の主張で埋められてゐる。 卑近な例では…

野島辰次の略歴

明治二十五年(一八九二年)東京本郷元町松平伯爵邸内にて出生。父三八郎(松平家の家臣)母せいの四男。明治三十二年(一八九九年)本郷尋常高等小学校‐京華中学‐慶大理財科中退。大正九年(一九二〇年)‐大正十五年(一九二六年)時事新報記者、その傍ら文筆生活をす…

正岡容「フチなし眼鏡が大へんにエロで」

鮫島純也の記事と同じ号の『実話雑誌』に、北村兼子の記事が出てゐる。「北村兼子 恋の走馬灯」を書いたのは、まだ草冠のついてゐる正岡蓉。北村と関係があったとされるのが服部嘉香・高尾楓蔭・椿三郎・瀧川幸辰・三上於菟吉…。これは北村を誹謗する為に流…

夏草の御製

代々木でもらった『まごころ』第六巻第七号。明治天皇が明治38年に詠まれた御製「夏草」が載ってゐる。 國のため民のためには夏草の ことしげくともつとめざらめや それはいいのだけれどもその現代語訳が「国のため、国民のために、夏草が茂るように励みます…

正午頃に行ってみたまへ‐成田豊四郎のおとわ亭

『実業之日本』大正十年12月号 (24巻23号)を繰ると「学生と軍人に大持ての食堂」(渋谷町人)が載ってゐる(p60〜61)。《客の集まる店巡廻記》といふ連載。此の回はなんと四段の見開きすべて、神保町にあったおとわ亭の紹介。胸が躍りますね。踊りませんか…