2015-01-01から1年間の記事一覧

与謝野晶子のナチス焚書批判論

『政界往来』第4巻第7号は昭和8年7月号。政界情報が中心だが評論や随筆も多い。 タイトルには挙がってゐないが、この年に起こったナチスの焚書について、いろんな人が話題にしてゐる。 神近市子は「婦人界評論」で「人類の文化を破毀するもの」「全人類…

上海のブラック・ジャパニーズ、グプタ

今年の12月はあまり寒くない。100年前はもっと寒かったらう。 大正4(1915)年12月、頭山翁らにより、インド人志士のボースとグプタが新宿の中村屋に匿はれた。ボースは日本にカリーを伝へて中村屋ボースとなったが、中村屋側の証言ではグプタは日…

男の中の男、堀川辰吉郎

『国粋』は大阪・天王寺の国粋社発行。国粋出版社発行の文芸雑誌はよく見かけるが同名異誌。 こちらは大日本国粋会総本部の機関誌。第2年第3号は昭和6年4月号。東京・九州各支社を設けたとのことで頭山翁や田中弘之らの名刺広告が並び、表紙も一新したと…

木村毅は金魚を食べたか

『読書展望』(読書展望社)昭和23年8月号は「新涼随筆号」。神戸・西村旅館主で文化サロン、へちま倶楽部を開いた西村貫一の協力で、関西の学者らが執筆してゐる。 山田孝雄「神宮文庫にある上代文学」は偽史批判。神宮にある神代文字といふのも、明治以…

鄭漢永「ここにいる日本人には何の罪もないのだ」

『私は神を見つけた』は鄭漢永の著。出版社名なく、著者の豊島区の住所が載ってゐる。昭和57年11月15日発行。帯に「神とは何んぞや?」「このままでは、ノストラダムスの予言通り末世は必ず来る。そして人類は滅亡する?」ともあり、一見するとオカル…

辰野九紫「されば虚業家は好んで彼等を使嗾するのである」

『虚業春秋』は双龍子著、思潮社刊、大正15年11月発行。著者はユーモア小説の辰野九紫の別名。 本書は世上実業と称するものゝ中に、如何に多くの虚業の潜めるかを例示しつゝ、金儲けに手段を擇ばぬ悖徳漢が、紳士紳商として横行闊歩してゐる都大路の四ツ…

下山京子に求婚した野依秀市

続き。豪傑飯屋に続いて「美人記者の料理店」で紹介されてゐるのが元新聞記者、下山京子とその築地の料理店、一葉。鼓を持った写真もある。 『実業之世界』記者に対する下山の受け答へは粋なものばかり。 『私はもう噴火しない死火山ですよ、さらりと過去の…

馬場譲が開いた豪傑飯屋「気安野」

『実業之世界』大正2年3月1日号(第10巻第5号)に、「馬賊式の豪傑飯屋」といふ記事が載ってゐる。 神田駿河台の一膳飯屋、「気安野」は、5銭で腹いっぱい飯を食へる。欄間には、頭山翁と観樹三浦梧楼の書があるが、それだけではない。 振つてゐるのは…

伊藤友治郎「この種のものを名づけて銅臭仏といふのである」

今日も賑はふ神保町は古書とカレーの街。 スマトラのカレーのお店は靖国通りにあるのでわかりやすい。 この店にカレーを教へたのは長野出身の伊藤友治郎。南洋研究家で龍渓書舎から伊藤編の『南洋調査』が復刻されてゐて、略歴もある。これを読むととても怪…

河野一郎に挑戦した倉地武雄

『河野に挑戦・一年半』(言論時代社、昭和39年11月)は倉地武雄の著。倉地は元朝日新聞記者で山形支局、政治記者、従軍記者の経験がある。神奈川在住で、河野一郎の地元。河野も朝日新聞にゐたので先輩後輩にあたる。 月刊雑誌『言論時代』のち旬刊新聞…

川面凡児が夜外出できなかった理由

月刊『大日本世界教』第22年第3、4号は『川面先生追慕録』として、昭和4年4月に発刊された。同年2月23日、川面凡児の帰幽を受けたもので、裏表紙に五十日祭のスタンプがある。葬祭の様子、小伝、諸家寄稿からなる。全170頁。 4月7日の追慕会発…

三迫仁志「乱闘は解せませんね。子供の集会みたいで」

今号の『伝統と革新』、連載「我が体験的維新運動史 二人の『情報プロ・達人』の思い出」は、月刊「潮流ジャーナル」の天野博雅、「現代産業情報」の石井俊介について。 「潮流ジャーナル」には昭和42年創刊で週刊のものが別にあり、恒文社、編集人は木部…

中島健蔵「本を買うのも気合いである」

九月も半ばを過ぎ、こんな天気ならもう秋と言ってよい。秋は読書である。 中島健蔵『アサヒ相談室 読書 読み方・そろえ方・扱い方」は朝日新聞社のシリーズの一。ほかに「法律」「買い物」「信仰」などがある。 手元のものは初刷の記載なく、昭和28年7月…

東條英機元首相自殺未遂説の謀略を暴いた坂井時夫

丁度70年前の9月11日、東條元首相が自殺を図ったが、未遂に終はったとされる事件が起こった。しかしこの事件には、使用した銃などについて、不審な点があるといはれてきた。 『元首相東條英機大將自殺未遂説の謀略を暴く』(昭和62年12月発行)は、…

千葉亀雄の化け込み記者盛衰論

昭和5年5月10日発行の『週刊婦女新聞』(婦女新聞社)は通算1561号で、明治33年の創刊から30年の記念号。新聞ではなく雑誌形態で144ページに及んでゐる。 広告は婦女新聞社関係だけではなく、婦女界、婦人之友、婦人世界なども並ぶ。与謝野晶…

寛大過ぎる筧克彦

『大八洲』は広島県神職会の機関誌。投書やクイズもあって、肩肘張らずに読める。 大正14年(第14巻)9月号の「筧博士の神むながらの道を聞きて」は、7月28日から三日間、御調郡役所で行はれた筧克彦の講演の記録。二市五郡神職会主催なので、筧は神職…

戦時下でも地図を入手した師橋辰夫

『こんな地図あんな地図』(日本放送出版協会編、昭和51年2月)は「趣味の世界」第6冊。堀淳一、松沢光雄、師橋辰夫、岩田豊樹、清水靖夫が地図収集や研究の魅力を語る。 地図収集の情熱が伝はるのが師橋。師橋は日本地図資料協会会長で国税局勤務、通称「…

新甫八朗「諸君、共産党は嘘つきだ」

『敵中突破五千キロ 満州暴れ者(もん)』は森川哲郎著、徳間書店、昭和47年刊。書名には出てこないが、新甫八朗の一代記。 大正2年生まれの新甫は上京後、芝浦工大で学生ストライキの指導者になる。頭山秀三や野間清治の応援を受け、学校側が雇ったやくざ…

桜沢如一「一体ドーシタラヨイノカ!」 

『食養』の昭和15年7月号に、桜沢如一が「夏の食物と健康」を書いてゐる。桜沢は忙しくて、30年も前から夏休みがないといふ。それでも夏が来るのは人並みに嬉しいことだった。 ところが此の頃、新聞や雑誌やラヂオによると、ソーラ夏が来たぞ! 伝染病が…

頭山翁の依頼で東トルキスタンに嫁いだ女

『肉の砂漠』は清水正二郎著、日本週報社刊、昭和33年4月発行。手元のものは一カ月後に6版を数へてゐる。後で分かったが、清水は作家、胡桃沢耕史の本名。戦中に中央アジアを遍歴した実体験を記録したもので、筆の運び方も流石だ。 序文を海音寺潮五郎が…

目次も検閲された田崎文蔵著『神兵隊事件の全貌』

平凡社の下中弥三郎が大陸に作った新民印書館。そこで働いてゐた山中林之助の協力により、『神兵隊事件の全貌』(田崎文蔵著、新民印書館、昭和19年10月30日発行)が発刊された。定価12円とあるが、売れ行きは悪くなかったやうだ。 「序に代へて」に山…

小田十壮が首唱した蔣介石総統謝恩大会

森三十郎の『憂憤録』は昭和49年5月、福岡の綜合国家学研究所発行。587頁もある。 同書略歴によれば森三十郎は熊本五高、九州帝大を経て官途ののち福岡大学法学部長を務めた。担当は憲法・行政法。のち名誉教授。ところが森は改憲よりも徹底した廃憲論…

尾津喜之助が騙されさうになった「靖国神社後援会」

みたままつりの露店が中止と発表されたが、さういふ話は昔からあった。 『尾津随筆 沙婆の風』は昭和23年12月、喜久商事出版部発行。表記は「娑婆」ではなく「沙婆」。新宿を地盤にして露天商を仕切ってゐた尾津喜之助の随筆。 自序がフルってゐる。 私…

高山彦九郎と行く知識階級地獄

『虐げられた笑』(実業之日本社、大正11年10月第1刷)は生方敏郎の滑稽小説集。ユーモアといふよりも諷刺が強く出てゐる。 「神曲地獄篇」は高山彦九郎と共に、様々な地獄や天国を巡る話。尊皇家の側面には触れてゐないので、全国を行脚し、生方と同じ群…

SPADのリーダー、双瞳の磯部章弘

『一九九三年秋・日本クーデター それは闇将軍暗殺事件から始った』は昭和58(1983)年6月、室伏哲郎著、三天書房発行。装丁・装画は風祭竜二。 10年後にクーデターを起こすことを予想した未来小説で、テレビはケーブルテレビが発達してゐるが公衆電…

頭山秀三追悼会に参列した村松梢風

『私の履歴書』(昭和32年5月5日発行、金文堂)は村松梢風の随筆集。同名の連載が今も日経で続いてゐる。村松の連載も収録されてゐるが女性関係だけで終はってしまってゐる。全200頁のうち30頁くらゐ。 日経に載らなかった文章に「右と左」があり、此…

竹内圀衛がおこしたヨクカム会

『まづタベ方を改めよ』は、長野県小縣郡神科村の竹内圀衛の著。ライオンのホームページ で触れられてゐるが、公的機関の所蔵は不明。 発行所はヨクカム会。住所は東京都淀橋区落合四ノ一九八六。奥付では昭和17年6月20日発行で、前書の日付は10月1…

堤康次郎邸で三船久蔵に柔道をさせた宇田国栄

『政界五十年思い出の人々』は宇田国栄著、新政研究会発行、中央公論事業出版製作、丸ノ内出版発売。昭和54年6月20日初版で、7月18日再版。 函・本体とも表紙・背に著者名なし。奥付の略歴には年月の表記がないので、この本だけでは著者の生年もわか…

窪田静太郎「一歩進んで云へば不道徳ではないか」

続き。窪田静太郎は形式嫌ひ。貴族院では演壇に上るとき、途中にある玉座に拝礼する習慣があった。天皇がお出ましでない、誰も居ない椅子に礼をしてゐた。あるとき、勝田主計蔵相がそれをしなかった。それを三室戸敬光が叱責し、勝田を陳謝させたことがある…

窪田静太郎「皇祖皇宗に対して永遠無窮に存在する任務がある」

窪田静太郎は社会事業家で内務官僚、枢密院顧問官などを務めた。貧困やハンセン病対策にも尽力した。『窪田静太郎戦時下手記 自分はどんな人間だったか』(平成4年3月、日本社会事業大学編集刊行)を残してゐる。「自分はどんな人間だったか」は昭和13年8…