電車の中で読書する人

 九月も半ばを過ぎて日中はまだまだ暑い日もありますが、朝夕はだいぶ過ごしやすくなってまいりました。読書の秋はすぐそこです。今年の秋も沢山の本との出合ひがあることでせう。
 以前は電車に乗ると、誰もが本を広げてゐました。それがどうでせう、最近の乗客は居眠りをしてゐたり、ケータイ電話を操作したり、音楽を聴いてゐる人ばかりです。新聞や雑誌、マンガを読む人さへ少なくなったやうな気が致します。活字離れは電車の中でも窺はれます。
 嗚呼なんと嘆かはしいことでせう。





 


…といふ文章を目にすることも増えることでせう。さういふ人にはかういふ文章も目にしてほしい。

アメリカなどに行つた人が帰朝してからよく云ふことであるが、アメリカに行くと電車や汽車に乗る人々が皆本を開けて読んでゐる。国民を挙げて寸陰を惜んで勉強して居ると云ふやうなことを云ふ。何ぞ図らん、斯う云ふ人々は一度家に帰つて来ると変な不快な顔をして少しも本を読まうとしない。之はアメリカ人が皆神経質なものだから乗物に乗つた中が一番頭の工合がよいので、それで乗物から降りると気持が悪い故に足許がふらふらして歩いて居る。つまり神経質に殆んどアメリカ国民全部がてかゝつてゐるのであらう。之がアメリカの真の状態なのである。日本人は、アメリカ人に比べるとまだまだ健全であると云へる。アメリカ人の勉強する話を聞いて感奮して俺も一つ汽車に乗つて本を読まうと云つて乗車の時本をシコタマ持ち込むが、乗るが最後眠くなつて到底本は読まれない。詰り神経質でない人は汽車にゆられると眠くなるのである。

『児童』昭和11年二月号の杉田直樹「神経質児童とはどんなものか」より。当時は、電車の中で本を読まない人の方が正常だった。読書に夢中になって降り忘れるなぞもってのほかといふことであらうか。
 いづれにせよ、電車の中で読書する人が少なくなったからと云って、心配するには及ばない。
 本トノ紐帯ハ電車内ノミニアラズ。