2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧
続き。目を引かれるのが、津末の信心深さ。牛込南蔵院の歓喜天、伏見稲荷、外宮、牛込の霊媒師竹内喜太郎を信じてゐた。少し詳しく触れられてゐるのは上田霊光。 昭和に入つて後は霊南坂に住んだ上田霊光という予言者を信じ、これは死にいたるまで信じて居つ…
『津末良介』(津末良介翁伝記編纂委員会、昭和27年1月)の津末は大分県出身の弁護士・代議士。委員長は中根貞彦で、編集の中心は御手洗辰雄。 世に知られないのも道理で、「世間的には決して成功者とはいえない」(中根)、「公人として殆ど事業を残せない型…
『昭和史を歩く 同時代の証言』は第三文明社、昭和51年7月刊。左の人たちのインタビュー集で、対象は高橋亀吉・小牧近江・福本和夫・石堂清倫・浅野晃・脇村義太郎・正木ひろし・対馬忠行・淡谷悠蔵・細谷松太・山口武秀・いいだももの12人。 インタビ…
『瓢々録』(昭和40年2月19日発行、私家版)は、今年で没後50年を迎へた尾崎士郎の追想録。寄稿者は交友の広さを物語るやうに、137人に及ぶ。茂木久平、添田知道、大木惇夫、水野成夫、浅野晃、今里広記、山崎一芳、田辺茂一、豊田一夫、石田博英、…
『東洋評論』は赤松克麿が創刊した雑誌で、昭和31年3月発行の第5号が赤松の追悼号。編集委員は猪俣敬太郎・市瀬正幸・津田官・毛呂清輝・入江一。諸家が思ひ出を寄せてゐる。 津久井龍雄は「転向が機縁で結ぶ」。 赤松君の告別式場で、誰かが同君の生前…
続き。同書には後楽園スタヂアム社長の田辺宗英も出てくる。市村は昭和21年ごろ、銀座のキリンビヤホール跡地を買ひ取った。 その取引が成立した直後、市村の事務所におかしな風体の数人の男が面会を求めてきた。何事だろうと会ってみると、田辺拳闘倶楽部…
『茨と虹と 市村清の生涯』(尾崎芳雄、実業之日本社、昭和44年)は、三愛創立者、市村からの聞き取りをもとした伝記。三愛とは「国を愛し、人を愛し、勤めを愛する」こと。升田幸三と中村メイコが推薦の言葉を寄せてゐる。巻頭では銀座三愛の発足披露で高松…
『燃えよ祖国』の平成16年6月号(通巻131号)に、山平重樹の「評伝児玉誉士夫」第三回が載ってゐる。そこに、昭和44年12月6日にホテルオークラで開催された児玉作詞「民族の歌」発表会のことが記されてゐる。出席者約二千人。なかには岸信介、萩原…