2011-01-01から1年間の記事一覧

現代日本右翼の知的水準

純真朴訥の青年愛国者 昨年、例の安保闘争で、左右両翼が街頭で激突した時のことである。ある右翼団体から、街頭デモに駆り出された一青年が、運悪く警視庁に捕えられて、その闘争参加の理由や思想根拠の問題等について、型通りの尋問を受けたのである。 と…

3000対6

続き。 突然、三〇〇〇人の隊列の中に、ガタガタのトラックが突っ込んできた。鉄カブトをかぶった青年六人が乗っていた。彼らはメガホンを手にしていた。右翼、国粋主義者、赤尾敏氏氏所属の突撃隊だった。自殺するつもりなのか?三〇〇〇人の大洋の中へ、た…

なぜ5人はおぼれなかったか

『一億人のアウトサイダー‐新しい挑戦者日本』(ハンス・w・ヴァーレフェルト著、出水宏一訳、東洋経済新報社、昭和44年12月発行)。著者は1928年西ドイツリューデンシャイト生まれのジャーナリスト。16章のうち一章が「組織された右翼」。 赤尾氏はアデナウ…

指圧を奨める高須芳次郎

現在は、日本主義時代である。この時代に当り、医学もこれに順応して、その内容を変革しなければならない点が多々ある。(略) 日本人は、明治維新以来西洋のものを舶来舶来といつて何んでも崇拝した。それで西洋医者が物々しく聴診器をあてて診察するが、実際…

日本の孔子、江藤大吉

続き。福永雄作「夢に生きぬく支那浪人」といふ記事に出てくるのが支那浪人、江藤大吉。昭和18年夏に訪問。郷里が同じ豊前だったため、記者はその名を聞くと、小さい頃に聞いた三羽烏といふ言葉を思ひ出した。一人は漢学者の恒藤鱗次、一人は社会評論家にな…

第三国人に「覚悟シテイロ」と云はれた岸芳一記者

暴圧にも屈せぬ/記事に強い信念 終戦直後の第三国人が猛威をふるったヤミ市全盛時代、ヤミ市一掃に乗り出した大阪の鈴木警視総監を第三国人が暗殺しようとして未遂に終った事件を岸記者がスクープしたときのことである。 共同通信の記事は参考程度に取扱う…

日活演芸館支配人、浅井覚吉

長万部あたりにて、日活演芸館支配人、浅井覚吉なる人同車されて居り挨拶に来り大いに神聖運動を礼賛し「自分は昨日函館を出発する積りであつたが御一行がこの汽車に乗られる事を知つて同車せんと一日延ばしたのである。過日頭山満先生に逢つたがあの偉い頭…

雲雀が好きな藤澤清造

雲雀は、僕の好きな鳥の一種である。僕は、空高く飛びながら、玉をころがすやうなリズムで以て囀つてゐる雲雀の声を耳にすると、沈みがちの僕のこころも、高く上へあがつて来るからである。これは、秋の夜更けに鳴く梟の声を耳にすると、どう心驕つてゐる時…

下位春吉の友人「銀座は日本か」

北海別院に於ける下位春吉氏の挨拶 私は信仰上の事は抜きにしまして此度の神聖運動が如何にして起きたか又起すに至つたかに就て話して見たいと思ひます。満洲事変が起こつて以来日本及世界は精神上に物質上に種々穏やかでなくなつて来て居ますがあの事変の起…

天国は今此処に在り

土曜に高円寺で『佐藤彰三追悼録』(奥付無し、序は昭和三十二年一月、世話人江戸英雄、上村健太郎、太田剛の連名。題字は唐沢俊樹。函)購入。250円。 埼玉・静岡・福岡・神奈川・大阪の各府県で特高課長。群馬県警察部長を経て内務省警保局入り。終戦に際し…

暮れ泥むのはどんなとき

『JAPANISM 03』読む。 表紙の特集、青山氏の名前なし。裏表紙にはあり。 p4…同じ文章で献灯と燈火が一緒に出てくる。灯の正字が燈なのでは。 p5…上のキャプション、暮れなずむ空なのにとっぷりと日が暮れてゐる。 「暮れなずむ」は暮れさうでなかなか暮…

一貫不惑

(前略) テレビジョンやラジオや アンテナ林なして家々に行きわたりぬ 一億白痴化とは言はじ もと賢明なるにあらねば 「着ものは着れる、物は見れる、彼女は来れる わりかしイカシハツスル」とやら 卑俗なる国語の普及に日も夜も足らず (後略) 佐藤春夫「…

ピピピと言はない神宮大麻

地デジ化により、何も対策をしないとアナログテレビが見られなくなりました。数年前から告知され、キャンペーンや相談会や諸々行はれてきましたが、やはり当日に停波になって、吃驚してチューナーやアンテナを求めに行った人も多かったやうです。 それもこれ…

マッチポンプ

朝日に岩波書店の広告。『『諸君!』『正論』の研究 保守言論はどう変容してきたか』上丸洋一、2940円。広告文に「約四〇年前、「左翼」運動全盛の時代に創刊された『諸君!』『正論』。従来の総合雑誌とは異なる切り口で「保守」に言葉を与えた両誌は、何を…

罠本とは何ぞや

『JAPANISM 02』(青林堂)を読む。「02」とあって、第一巻第二号と表記してゐないやうに、雑誌ではなくてムック。隔月刊。奥付には平成23年6月25日 初版第一刷とある。 まづ表紙。「総力特集 菅政権メルトダウン 権力とメディアの罠本 青山繁晴 上杉隆 宇田…

乃木・弦斎・孫文

週刊現代巻頭の磯田道史さんの書画骨董めぐり。この雑誌で水戸学とか阪正臣とかの文字を見るとは思はなかった。乃木さんの書簡は「学習院長伯爵乃木希典」とある。伯爵と自署するのですね。 店は三玄洞、森井書店、妙童など。でもよくよく読んだら、明治古典…

藤沢清造の別れ話

『生きてきた』を一章ずつまとめるとしても全30章…、週刊プレイボーイに、西村賢太氏が藤沢清造資料に2000万円かけたといふ記事があったので、途中をすっとばして今回は第14章。 山本は東京日日新聞のサービス紙として創刊された婦人毎日新聞に入社…

小次郎が居ない理由

寺田小太郎『わが山河』(発行者:寺田小太郎、発行日:平成20年4月12日、非売品、表紙:中路融人)より。昭和2年、東京市淀橋区角筈(現、東京オペラシティ)生まれの造園家の生ひ立ちと随想をまとめた縦長の冊子。43頁。正誤表付き。 数百年前に近江から…

井箆節三の紹介で一燈園に行く

続き。宮地嘉六の小説「放浪者富蔵」を読んで放浪に憧れる。郵船ビルで肉体労働をするも一日で音を上げる。四十年後、同じビルにジャーナリストとして通ふやうになる。三共商会という日傭任人夫供給業者から派遣されて目黒のエビスビール工場で働く。壜の上…

煙草を買ひに来る吉田松陰

続き。そもそも山本家は長州松陰神社の正面で、境内の1/5は山本家のものであった。吉田松陰は塾から山本家までよく煙草を買ひに来て、歩くときは何時も何か考へる風であった。伊藤博文の父は米搗きに来て、後に博文はお礼に揮毫を書きにきた。 山本家と対…

ある不成功者の自伝

『生きてきた』(山本敏雄、南北社、昭和39年11月)は地味な本だが内容は頗る濃い。山本は本名の山本虎三時代にアナーキストとして名を馳せ、文学史には平林たい子の夫として記録されてゐる。夫妻であったのは確かだけれども、山本の人生の一部でしかない…

野村秋介も怒った古都税問題

いち早く白洲次郎について描いた鶴見紘。鶴見が右翼について書いたのが『右の翼西方に翔ぶ 加藤矩敏口伝』(修明学園出版局「右の翼西方に翔ぶ」刊行会、平成2年7月30日)。白洲連載の最終回ごろに昭和天皇のご容態が悪化してゐた。鶴見は女性週刊誌編集者…

神官が見た熱田神宮の神剣

その頃の私は考古学という学問があることは知りませんでした。初めて知ったのは一九四六年の四月、明治大学に入ってからです。専門部の地理歴史科に進んだのですが、ここに後藤守一という著名な考古学者がおられて、「三種の神器の考古学的検討」という講義…

大船観音と護国大観音会

『観音の大精神に甦れ』(護国大観音会編、昭和2年7月15日発行)より。 本職出家以外、在家篤信の居士等相決起して大同団結し、真剣なる伝道隊を組織し、全国的に時代救済の布教の警鐘を乱打するの必要あり(伝道方法に関しては別に発表する所に依る)其…

外国語挿入は外国崇拝のこと

『近きより』補遺。「手近な処にある我々の戒心し、實行し、警告しなければならないこと」というアンケートへの回答。質問がふはふはしてゐる感がするが、回答数が多いので飽きない。抜粋すると 1、止むを得ざる固有名詞等の他は、新聞、雑誌の原稿に於ても…

正木ひろしの図書館体験

続き。正木旲(表紙・本文とも晃になってゐる)の「上野の図書館」が面白い。当時上野にあった帝国図書館は、満15歳以上でなければ入館できなかった。30年前、中学三年になった正木は待ちわびてゐた15歳になった日に出かけて行った。ところが館員は、…

谷井辰蔵のダンスホール全廃論

『近きより』二巻一号、昭和13年1月号より。まさき・ひろしの言ふやう、 末次氏が内相になつたとて、別に之以上日本が軍国化することもないであらうが、やれネオンの色はいけないの、ダンスはいけないのと、重箱の隅を楊子でほじくる様なことはしない方がよ…

腰折

この門の 影よいよいよ 伸びよかし いしぶみ照らす 日のかたぶきぬ

古書ナシニ一日モ生キルコトガ難シイ

岩瀬文庫の口上に痺れる。

天才は忘れたころに

『出版ニュース』木本至氏の古本コラム。あまり知らない人だが、と断った上で。権藤成卿の著書を取り上げる。昔も原発屋のやうに自信過剰な官僚がいたといふ。「大江広元以来」とか、制度学もさういふ目でみれば怪しい人に見える。 思へば有事の後は皆々有事…