2012-01-01から1年間の記事一覧

八重野範三郎「自分はこれだけの高齢となっていたことを忘れていたのが誤りであった」

『高岳自叙伝』(昭和38年、非売品)は佐藤孝三郎の自伝。明治元年に福岡県浮羽郡に生まれ、各県の内務部長、名古屋・函館両市長などを歴任した内務官僚。息子に佐藤達夫法制局長官。 自分のことを勇往の気に欠けるとか性質柔弱だとか人慣れしないと自覚し、…

紐育の新年は日本の玩具と共に

『社会画報』は和歌山県人の詩画文章を載せたもの。昭和14年の16巻1号、通巻128号に高橋潤二郎が「『ニューヨーク』の新年」を寄せてゐる。数年前の滞米を回顧したもので、京都帝大の近藤博士らと大晦日を迎へた話。 クリスマスの前日は会社・銀行・官庁・…

三島誠也「発売禁止処分になつた事実を以て、直ちに宣伝広告に利用せんとする」

まだ続き。三島誠也内務省図書課長が「取締上より見た最近出版界の現状」を寄せてゐる。最初に禁止統計表を掲げて、昭和4年10月末から一年間について、出版法に依るもの、新聞紙法に依るもの、また安寧か風俗かなどを分析してゐる。 しかし実は統計外の、謄…

小野寺秋風「遂に完全なる地震予知機発明さる」

続き。『自警』の小野寺秋風「百年後の世の中」より。 空中時代 無滑走絶対墜落なしの軽小型飛行機発明され今では一家一機会社出勤通学、一寸買物にも飛行機利用為めに空中は飛行大洪水而してラッシュアワーの壮観斯くの如し。物品電送 家に居ながらにして必…

国家社会主義者の小笹正人帝キネ東京支社長

自警会発行の『自警』、昭和6年一月号は警察雑誌と思へないほど読み甲斐がある。出色は「百年後の社会と警察」といふ小特集で、名士が西暦2030年の世界を予想している。嘉納治五郎は「武道と武術と警察」、小野賢一郎は「新聞界はテレビジヨン時代」、浅原六…

オーストラリアを日本に譲ってもいいと言ふアーノルド・リース

藤澤親雄の『欧洲最近の政治動向』(昭和12年、教学局)は硬い題名だけれども、中身は国民精神文化研究所嘱託の藤澤の欧州見聞記。訪問した英独伊はどこもファシズムが盛んだ。 イギリスでは5月12日のジョージ6世の戴冠式を見学。久米正雄と10ポンド・170…

高畠氏の名答

三土社の『新時代』の大正15年4月号・第六巻第四号は僅々28頁。然し発行者の鳥谷部陽太郎は「三土社から」でかう言ふ。 “新時代”はご覧の通り、商売雑誌の体裁をしてゐないので、中には道楽雑誌のやうに見てゐる方もあるやうだが、編輯者としては、出来るだ…

高畠素之「そうじやない行詰まつて病気になるのだ」

高畠素之が結婚式でピストルを掃除してゐたといふ話、猪野さんの『日本の右翼』の津久井龍雄の項に簡単に触れられてゐる。出典の詳しい巻号が記されてゐなかったので手元のもので確認すると、『国論』の昭和29年3月号。第二巻第二号で題字下に[創刊一周年…

ラヂヲを聴くと気が狂ふ本尊美博士

『ポンソンビ博士の真面目』読了。昭和33年に京都の本尊美記念会より刊行。本尊美利茶道は即ちポンソンビ・リチャードで、生粋の英国貴族。日本人より日本らしい暮らしをして、晩年は神社や皇室研究に没頭した。 小泉八雲やモラエスよりも徹底した日本人ぶ…

下位春吉「デンマークこそ、まことに詩の国、民謡の国」

『政界春秋』の昭和9年4月号に下位春吉の「ストークの春―農村デンマーク―」といふ随筆が載ってゐる。訪れたことがあるやうな書きかたで、デンマークの農村と人々に共感を寄せる。 クリスチナ、インヂマン、ブローソン、スグルンビークなどと云ふ詩人たちは…

「どこかへ掲げて道連れになつて戴きませう」‐頭山翁の写真と海を渡る下位春吉

『向上之青年』の昭和2年9月号には、一家で渡伊する下位春吉の様子が詳細に描かれてゐる。時は7月4日、所は横浜埠頭の箱崎丸。同道するのは13歳になる高輪小学校の不二男君、17歳の頌栄高女の桃代嬢、それにふじ子夫人。見送るのは母のふさ子刀自。送別…

「頭山先生以来の立派な国士だ」‐頭山翁と下位春吉の会見記

『向上之青年』昭和2年8月号の「興国の光芒輝く星ヶ岡」(伊原敦、p14〜p20)は頭山夫妻、下位春吉夫妻、小原達明帝国文化協会会長夫妻、上村藤若同協会主幹の七名が一同に会した記録。5月29日の星ヶ岡茶寮に打ち揃った巻頭写真が素晴しい。峯尾さんは苦…

葉書一枚買へない下位春吉

『向上之青年』(帝国文化協会)の昭和二年七月号に下位春吉が大々的に掲載されてゐる。星ヶ岡での、同協会会長の小原達明八千代生命社長との会見記。「山王台の森かげから」と題した記事を書いた伊原敦はなかなかの美文家。「明治維新を一区画として、志士の…

杉村楚人冠が出世できない理由

『現代』大正10年7月号には細々した逸話が載ってゐる。「挿話三篇」は信天翁子の筆。 「玉に瑕」ははじめに杉村楚人冠の語学力を「英米の公使や領事ですらも跣で駈け出すといふほどの天才である」と褒めちぎって、しかし杉村にも悪癖があるといふ。 東京朝…

偶感

武者が模索舎でむしゃくしゃして模写の武者絵をくしゃくしゃにしたっていふのが繰り返せなくて本当にむしゃくしゃしさうになって背筋が寒くなる晩秋の夜

「世の異教者と偽仏教者を駆逐せしめん」‐鹿毛信盛の『真仏教軍』

京都・博議社の『経世博議』第9号は明治24年9月25日発行。発行兼編輯人岩尾昌弘。仏教全般の雑誌で、短いけれど真仏教軍発足の記事が目に留まった。 真仏教軍九州の筑後に誕生せんとす、其発起者は貴族院議員鹿毛信盛氏外十有余名なり、而して其期する所は国…

「トーシ」「マーヅ」に聞こえる萩原朔太郎

『清和』は東京横浜電鉄株式会社目黒蒲田電鉄株式会社清和倶楽部の刊行。昭和14年8月号が第六巻第八号。この号に変はった座談会が載ってゐる。「車掌・駅員の喚呼を批判する音声文化座談会」。出席者は石川錬次・服部嘉香・原田君代・服部龍太郎・千葉勉・萩…

頭山翁を指圧する浪越徳治郎

『自分でできる3分間指圧』(浪越徳治郎、実業之日本社、昭和42年)はハウツー本だけれども、たまに自伝めいた話柄もでてくる。 戦前に頭山満という豪傑がいました。この方は一代の国士といわれ、日本全国に大勢のファンがいたものです。頭山さんのからだつ…

尾高豊作「本を読めば病気が治るといふことは一つの暗示療法」

読書といっても様々で、文学書や専門書ばかりが読書でない。多くの人にとっては実用書も、否実用書の方が売り上げも影響も大きい。これを読めば問題が解決し、かうすればもっとよくなるとか、本当かとも思ふけれどもそれが売れてゐたりすると少しは効果があ…

佐藤勝身「泥の道へ傘をたゝんで土下座してしまつたのです」

『生命の教育』の昭和10年12月号は第1巻第5号。「左翼転向者の座談会‐思想教育の問題‐」が載ってゐる。出席者は谷口雅春・佐藤勝身、中林政吉・小西茂國・佐野哲生・山口梯治・村上幸一郎、佐藤彬・松本恒子。左翼が転向して如何にして生長の家に縁ができる…

山田新一郎宮司「東洋のムツソリニーたらんことを」

昭和8年発行の『中安翁追悼録』は中安信三郎大日本国粋会会長の追悼録。 晩年は京都に孝明天皇を祀る孝明神宮を造営しようと運動してゐた。会名の国粋といふのは杉浦重剛直々に命名されたものである。山田新一郎北野神社宮司が書いてゐる。 中安君といへば…

代準介の伝記

弦書房から『伊藤野枝と代準介』が出てゐた。 頭山翁の写真や手紙が載ってゐて嬉しい。 茂木久平がサ行になってゐる。

小澤打魚「唯私共を信じて下さる事を願ふのであります」

『時事問題研究』は時事問題研究会発行。政論や世界情勢の硬い内容。発行人戸田千葉、編輯兼印刷人柳澤泰爾。大正11年12月号の1巻11号に小澤打魚が「奇書南淵書献本の顛末」を寄せてゐる。 口語体で書いてあるのを読むと、小澤は昭和天皇が摂政になった年に…

早川清「古本の莫迦高いのには呆れる」

古本まつり少し覗く。年々人が多くなってゐるやうに思はれるのは実際さうなのか、こちらの嫌人の気が昂じてゐるのかちょっとわからぬ。沿道の棚なんど十重二十重といかぬまでも二重三重に人垣が出来てゐて後頭部の博覧会なり。交差点のところなど警備員が立…

北署吉「今日の野球熱の勃興は大に呪詛すべきである」

『現下の諸問題 是非対抗熱弁集』は雄弁の昭和6年新年号の別冊附録。25のテーマについて賛成反対を論じてゐるので、総勢50人が登場する。芸者有用無用論では芸者撲滅論が高島米峰、芸者有用論が松崎天民。年賀状廃止の可否については廃止論が棚橋源太郎生…

庄屋に鉄砲、左翼に毛利‐立志伝中の毛利基特高課長

『力之日本』昭和11年正月号からもう一つ。利根登「毛利特高課長・出世録」。副題に「一巡査から叩き上げて思想警察界のピカ一となつた」とある。 第二特輯「現代立志伝」の記事で、真珠王の御木本幸吉の次に紹介されてゐる。冒頭の小見出しは「庄屋に鉄砲、…

天野辰夫の『国体皇道』を読めば歩き方も変はる

『日本論叢』の昭和13年11月号読む。天野辰夫の書いた『国体皇道』への反響が載ってゐて興深い。吉橋丈太郎「時局雑感」。 天野先生の『国体皇道』はスバラシイ感動を各方面に与へてゐる。読破せる人々から続々と御礼の挨拶をうける。私はあのパンフレツトを…

志賀直方「僧侶の中には我国体観に徹しないものがあるから困るよ」

小林順一郎の発行する機関誌『2600』(三六社、昭和12年12月号)に、有馬成甫が「志賀直方氏を悼む」を寄せて居る。 志賀直方(なほまさ)は志賀直哉の叔父。明治12年5月12日生まれ。小林、井田磐楠らと行動を共にした。 日露戦争で負傷し、右目の視力を失ひ…

新居格「世界の第一流は第一流なんだから仕方がないのだ」

新居格「私の生活と金」(『力之日本』昭和11年正月号)はすべて、新居が金がないのを嘆いた内容。他の頁では谷孫六が金儲けの仕方を教授したりしてゐるだけに、よけい対照的だ。そんな雑誌だからきっとあとで売ってしまったのだらう。 わたしも年を迎へて…

高野六郎は随時参拝がお好き

国家神道といへば最近は研究が進んできたけれども、やはりまだどこか強制的だったり官僚的だったやうなイメージが持たれている。ところが月明会の『月明』昭和17年8月号(残暑号、第5巻第7号)にちょっと意外な記事がある。高野六郎「きりぎりす」。 役所用…