古川緑波が見た生大黒様

『川柳祭』は川柳祭社発行、昭和24年10月号に古川緑波が「シヨウコンシヤ」を書いてゐる。招魂社、つまり靖国神社のこと。といっても、すべて春秋の祭りにやってきた見世物小屋の様子を描いてゐる。明治36年生まれで10歳に満たない頃のことといふから明治末頃のことだらう。

 奇妙な看板で客を呼び込む例が2つ報告されてゐる。1つは足が5本で眼が3つの娘の絵。呼ぶとその娘が返事をするのだ。しかし入ってみると、そこにあるのはアルコール漬けの瓶に入った怪しげなカタマリ。別人が返事をしてゐたのだ。もう1つは猫がラッパを吹いてゐる図と猫が煙管で煙草を吸ってゐる図。しかしこれも猫は人が見てゐたり明るかったりすると恥づかしがるといって、箱の中に入れてしまふ。箱からラッパや煙草だけが出てゐて、そこから音や煙を出すのだ。緑波は猫の代はりの人間の様子を想像して面白がってゐる。

 しかし生大黒様はちゃんと実物をみることができる。

たゞブクブク肥つて、耳が大きく、ヒゲを生やしてゐるのが、画にある大黒様に似てゐる――といふ男。(略)生大黒は、面倒くさゝうに、(何しろデブデブ肥つてゐるから、動くのが大儀らしい)立上つて、木槌を持つて、踊る。踊ると言つたつて、まことに不器用なもので、たゞ木槌を持つて、うろううろするだけ。

 大黒様の恰好をした太った男が、踊りともいへないやうな動きをしてみせる。それが生大黒。ほかには河童もゐた。真っ黒な池のやうなものが用意され、それらしい姿のものが一瞬だけ現れては沈んでゆく。これは1銭か2銭。

 正真正銘の本物としては大蛇が毎年必ず来た。行者姿の釜鳴り仙人は呪文を唱へて釜を鳴らした。火渡りもしたといひ、これは修験か山岳系の神道者ではなからうか。

 サーカスや活動写真、猿芝居、犬の芝居などもあり、当時の靖国神社はかなり楽しさうだ。