2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 『続馬鹿鳥の声』岩村俊武

『続馬鹿鳥の声』岩村俊武、冨山房、昭和18年3月20日発行、木村百木装幀。肖像に頭山・徳富両翁の賛。 どこを読んでも面白い。巻を措く能はず。 朝倉尚絅と、琵琶湖の奥島の長命山の天之御中主大神に関わる岩を見る。 日露戦争勃発時に第三艦隊先任参謀。旅…

言葉が通じぬ宮司

所が明治十年頃に矢野先生ともう一人同じやうな人が居て二幅対と言はれた。其の一人は神宮の大宮司をして田中頼庸と云ふ人で、此人は誠に言葉が分らない。それは故あつて大島で育つたので、大島の訛と鹿児島の訛とで鹿児島の人にも分らないことがある。 さう…

大均一祭

都内三ヶ所の古書会館ではほぼ毎週末、いづれかで古書の即売会を開催してゐます。ありふれた本は安く、貴重なものは高くなるので、古書の価格は新刊よりも幅が大きくなります。たいてい本の一番最後(裏表紙)を開くと右上に表示してあります。 しかし半期に一…

児玉誉士夫の理容師

新平はその鼻眼鏡と、いつでも手入れの行き届いていた短髪と鬚が示すように、大変なおしゃれでした。その髪や鬚などは、小川という理髪師がほとんど毎日、朝一番で屋敷に出張して来て、手入れをしていました。この理容師は後に児玉誉士夫のあのイガグリ頭の…

かぶる

柘植文と久世番子が穴あき靴下ネタでかぶる。でも誌名は『Kiss』。いかすぜ。 和洋会目録、紙からビニール製に。これで雨も平気。

神道奨学会の『神道講習録』

教派神道十三派からなる神道連合会を前身として組織されたのが神道奨学会。大正十三年から毎年、神道講習会を開催した。第四回の昭和二年の内容に、第三回の内容を加えたのがこの『神道講習録』(昭和3年2月10日、大成教教務庁発行)。そのため、15人の講師の…

奥村喜和男は知ってゐた

ヒトラーの書いた『マイン・カンプ』(我が闘争)について。海軍の井上成美を代表に、「日本人に都合の悪いところが削除されたのに、日本人は知らなかった。それで日独同盟など間違った選択をした…」といふ論が広まってゐるが、さう単純な話ではないやう。 ソ…

全力坂

四時ごろ国会図書館を出ると、社民党本部正面の向かい側にテレビカメラを持った人を含め四、五人の団体が。いつもタクシー運転手がのんびり昼寝をしてゐる場所なのになんだらうと思ってゐると、数メートル先の女性に指示やらなにやらしてゐる。ピンときた! …

山田良政を偲ぶ菅首相

今日見た月刊『MOKU』に載ってゐた松本健一麗澤大学教授の連載によると。菅首相が、谷中全生庵にある山田良政の碑を見に行きたいと言っているので、案内する予定だといふ。 山田良政は辛亥革命の恵州起義に参加し、孫文にも評価された偉傑。革命100周年の…

こち亀巫女後編

細かいとこで、おみくじの一番で凶は出ないのでは。一番大吉。 中盤で折角巫女に超能力はないと説明したのに、最後の大立ち回りはサイキック。これだと、前編に出てゐた警官の噂話と違はなくなる。さういふ先入観を払拭するために禰宜さんが協力したのではな…

乃木将軍、おっぱいを論じる

昨日まで野党だった人が今日は入閣。そんな人は乃木将軍のおっぱい論を聞けばいいと思ふの。 (南天棒氏が)将軍邸を訪づれての辞去の際、玄関まで見送りに出られた将軍は廊下に於て言はれた事に「吾々は此の口で母のおつぱいを呑んで育つた其の尊い乳を呑んだ…

こち亀巫女編

×小捐、深捐→○小揖、深揖。ルビはしょうゆう、しんゆうで合ってた。 食前の祝詞、×たなもつ→○たなつもの。 ×目どうり→○目どおり(目通り) 由緒のところで「江戸から1300年昔〜」といふのもどうかと。「今から1300年昔」とか。集英社って校閲しないの…

頑張れ小田原市民

『猶太研究』昭和17年2月号(2巻2号)国際政経学会、p88より 「小生米国ハーバート(ママ)大学留学中現ルーズヴェルト大統領と同クラスに在りし事も有之、又当時の見聞によりユダヤ禍の恐るべき事が常に念頭を去らず、新春に際して市民全戸に対し別紙の如き年頭…

雨の箱根

『巨雲』昭和九年十月号「雨の箱根の草庵に内田先生を訪ふの記」小村木亞牛より 九月一日土曜日は二百十日で、一年中の大厄日にして、帝都防空大演習が予定されてゐた。運転手含め八人は麻布区西町十四の巨雲荘を午前七時半に出発した。なかでも村川小田両君…

竹を飾る理由

二ヶ所で御神籤引いて2回とも末吉ってどういふことや。凶だったら「あとは運が上昇しますね」といふ慰め方があるんやけれど。まだ底があるぞ。といふことか。難儀やなあ。 巫女の皆さん、寒くて手をポケットにin。何時より叉手は廃止になりしや。絵馬掛所で…