2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
続き。この本、大朝日の記者列伝なのだから朝日から出版したらよいものを、波書房といふ小さな出版社から出してゐる。巻末の書籍広告は「旅の穴場シリーズ」や『世界驚異人間物語』『竜馬暗殺推理』などの読み物。訝しく読み進むと、その理由がわかった。 こ…
藤本尚則は頭山翁を熱烈に崇拝し、伝記を執筆した。一方で藤本自身の為人はあまり知られてゐない。経歴としては『日本及日本人』の昭和41年1月号に転載された藤本尚則「国師杉浦重剛先生」に添へたものがある。 明治二十一年高知県に生まる。高知師範卒業後…
続き。本当の「負けるが勝ち」が昭和天皇とマッカーサー元帥との会見であった。岩越のいふ神のごとき負け方であった。「なんと弁解しても部下をのこしてフィリッピンの戦場から逃げだしたマック将軍と、まけて一身を文字通りすてて国民全部を救ったわが陛下…
『日本及日本人』の昭和41年1月号に、岩越元一郎が「『まける』の哲学」を書いてる。肩書きは国学者。 岩越は玉音放送は小田原に疎開してゐて聞けなかったが、その事実を聞いて大変心痛した。しかし75歳の母は敗戦のことを「まけるが勝ちということがある…
『佐々木健児』(昭和57年4月、非売品、佐々木健児追想録刊行会)をぱらぱらめくってゐたら、山家亨少尉が出てきた。佐野氏が参考文献で挙げるだけに、里見甫以外にいろんな人が出てくる。里見は集合写真で見ると普通のをぢいさんにしか見えない。 前半は佐…
続き。飯嶋が、拓大では「オス」を三回唱へると退学を迫られるといふのを批判してゐたりするのも気になるが、飯嶋の結婚式のくだりが読ませる。乃木神社で挙げた式は昭和28年7月。相手は文藝春秋社で三島由紀夫の担当だった。初対面の新妻に、三上は「飯嶋…
『灼熱裂帛の士師(しすい)』は平成13年10月に亡くなった飯嶋勇の遺稿集。平成21年発行で、発行所は築地の天山同人といふ謎の組織。企画・編集は中野の桜岳社。 8割は飯嶋の遺稿だが、前半に載ってゐる飯嶋の伝記部分に惹き込まれた。執筆者は土生良樹…
『渡辺畔はこんな男』は、荒川区荒川二丁目にあった、東京時事新聞社発行。昭和50年5月。一風変った書名だが、同社創立者の渡辺畔(ばん)について、67人が執筆したもの。だけれども人数が多く、一人の文章が少ないので、渡辺の輪郭ぐらゐしかわからな…