ファッショ亭主にファッショ女房

『生命線』の昭和8年二月号読む。特に小山寛二「鴻鴴堂横議」。当時ファッショ文士と云はれてゐた双璧が直木三十五三上於菟吉。『生命線』といふ誌名も三上が発案したもの。ファッショ流行で、何でもファッショと呼ぶが、何が何だがさっぱりわからぬと皮肉ってゐる。

軍部はフアツシヨなりといふ。戦争するのがフアツシヨなら、又、ヘロヘロ外交を叩破つて、民族危急の戦を戦つたのがフアツシヨなら、歴史を繙けばフアツシヨだらけだ。文学方面にしてからがさうで、三上、直木はフアツシヨ文士だ、と盛んに方々で書立てゝゐたが、軍部の人達とつき合つたり、大演習を見に行つたりするフアツシヨだとすれば、フアツシヨは古往今来無数であらう。左翼は右翼をフアツシヨだといふ。右翼は国家主義をフアツシヨといふ。何でもかんでもフアツシヨだ。今にこの勢でゆくと、女房は亭主をフアツシヨ亭主いふであらうし、亭主は我儘女房をフアツシヨ女房と呼ぶであらう。教員は生徒に対してフアツシヨで、白木屋の様な大火事は、神田のぼやよりもフアツシヨ火事で、俺はお前より酒ではフアツシヨだよ、などと、段々につまらない話になつて来さうだ。

 母親が本当に出臍であらうがなからうがさういふことは関係なく、ただ気に入らないからお前の母ちゃん出臍といふのと変らない。
 「たしかにフアツシヨ亡霊である。自分つらつら一日座して考ふるに、これはユダヤ人のなせる妖術ではあるまいか」「フアツシヨといふ妙な言葉を流行らせたのはたしかにユダヤ人に違ひない」「ユダヤ人が来て新聞雑誌にフアツシヨなる変ちきりんな言葉を流行させたのではないかと思はざるを得ないではないか」ともある。これだけ読むとどうかと思ふけれども、三上はさういふ“亡霊”に対処する国策機関、「国立宣伝局」を考へてゐた。このことが某高校の地理歴史研究部が発行した年報に載ってゐた。