井上清純「天皇陛下は功徳をお積みになられた」

 井上清純は戦前の貴族院議員。天皇機関説排撃や軍縮条約反対運動に関する文章を読むとその名を目にできる。右翼陣営に居たことは確かだが、単なる右翼ではない。『師恩‐井上清純を偲ぶ門下生の回想記』(山崎信一)には、その機微が描かれてゐる。この本は非売品の私家版。手元のものにはところどころ、修正された箇所がある。著者略歴の昭和20年のところには、月の箇所の修正液の上に「10」、「予備役編入」とボールペンで書かれてゐる。
 著者が井上と結縁したのが昭和17年と遅かったため、戦前の活動記録が手薄なことや、仏法に関する分量が多いこと、著者の履歴も盛り込まれてゐるなど、系統的な伝記とは言ひがたい。しかし其れを割り引いても、井上の言行を示す稀な書。杉山龍丸も出てくるがそれはまた別の話。
 著者は警察予備隊から自衛隊を経て退職した。現役中に隊内で結成したのが天晴会。会員は約30人居たと言ふこの会の名は、明治時代に日蓮主義者の本多日生の命名した会名を復興させたもの。本多日生に学んだ井上清純の教えを、自衛隊の幕僚幹部らが聴く会だった。法華経を中心に、時事も論じた。井上は戦前戦後を通じ、日蓮主義者としての顔も持ってゐた。
 右翼陣営と目されてゐるが、大政翼賛会には反対した。天皇機関説思想を現実化させ、新たな幕府を創設したものとみなしたからだった。井上の井田磐楠宛て書簡が紹介されてゐる。 

今回のような変革といふものは数千年皇祖皇宗のお示し下された歴史には無い事でありまして、神様を始めとして、神武天皇様、天智天皇様、後鳥羽天皇様、明治天皇様の行はせられた御改革とは反対の方向に向けられて居るものと存じます。

昔より皇室に近い方を利用してきたのが奸賊の常套手段であります。頼朝も高氏も源家、家康までも源家であるといふので国民がだまされたのです。近衛公以外の人でこのようなことをやり出したならば、ここまで来ない中にきっと猛烈なる反対が出たと思ふ。それをよく知って居るのが悪人輩であります。

井上は貴族議員でありながら翼賛政治会からの加盟勧奨も拒否。近衛に諫言したが聞かれず、極力翼賛会を攻撃した。近衛はなぜこんな体たらくになったか。宗教を持たなかったからだといふ。
 その井上でなければ思ひつかなかったであらうといふのが、終戦時の昭和天皇への思ひである。昭和20年10月10日、著者がその言葉を書き留めて居る。

今度の戦争は、トルーマンチャーチルも蔣介石も、誰も止めることは出来なかった。唯天皇陛下だけが、お止めになることが出来たのです。陛下は歴代天皇のどの御方よりも、大きな功徳をお積みになられました。