2017-01-01から1年間の記事一覧

田中義一に助けを求められた内田良平

『心霊研究』(日本心霊科学協会)の昭和33年11月号に、田中信成が「N氏の心霊談」を書いてゐる。飛行士の徳川好敏の邸だったところに移り住んだ田中氏。そこでN氏から奇妙な心霊談を聞いたといふ。大本教の宣伝使だったといふN氏の経歴に目を引かれ…

川面凡児「一切人類総て神の子であります」

『宗教大観』は宗教大会事務局編纂、長野市の仏都新報社発行。明治41年9月発行で手元のは10月の再版。再版には倉嶋元弥や子供時代の倉嶋至らの写真もある。仏都新報は元弥(号は鬼成)が3年前に創刊した。仏都とは善光寺のある長野のこと。 この中には宗…

淡海節でサッスーンと親しくなった村井順

『波乱も愉し』(昭和47年、やえざくら発行)は表紙だけではわからないが、中の扉に副題として「不屈の人 村井 順小伝」とある。村井順は初代内閣調査室長にして綜合警備保障の設立者。本書はその伝記。業界新聞の連載30回分をまとめたもの。 著者は市原…

「駄目埋め」「遊軍」だった田中沢二

続き。田中沢二の父は田中智学。国柱会や国体学で知られる。その他いろいろな事業を手がけ、沢二は父の仕事を手伝ふやうになる。 『日本改造の具体案』の後ろの略歴は、版を重ねるごとに経歴が詳しく書き換へられるやうになっていった。音楽やタバコ、着物の…

田中沢二『日本改造の具体案』発行部数の謎

『日本改造の具体案』は田中智学の息子、田中沢二の著書。昭和3年2月11日発行。「以下○行○字其筋の意向により当分省略」など、ページによっては検閲で白紙の箇所が目立つ。 条文だけで無味乾燥といふことはなく、活字を小さくした「附記」で著者の主張や…

河野鉄憲「畔放は共産主義や無政府主義」

河野鉄憲『大祓詞新講』は会通社、昭和10年5月発行。103頁。 大祓詞の解説書といふと堅苦しさうだけれども、この冊子では大祓詞の現代的解釈を、世相に引き寄せて、話し言葉で親しみやすく論じる。著者独自の解釈が面白い。 冒頭では、ジャーナリズム…

笹岡末吉『歌で憲法』に協力した藤原咲平

『歌で憲法』は笹岡末吉著、渡辺千冬校訂、社会教育協会、昭和7年6月発行。 大日本帝国憲法の条文を五七五七七の和歌で詠んだもの。無味乾燥な条文を誰にでも親しめるやうに工夫したのだといふ。長い条文は3首の和歌に分けたりしてゐる。 校訂の渡辺のほか…

昭和19年に玉砕した『日本仏教新聞』

秋になると特に賑はふ神保町。神保町3丁目で日本仏教新聞社から発行されたのが『日本仏教新聞』。発行者は真継義太郎。号は雲山。 同社の『仏教詞林新聞寺二十年集』は昭和19年3月発行。『日本仏教新聞』は大正11年2月創刊で、昭和6年10月に十年集…

杉山晸勇「日本の国体を鮪に喩へるとよく了解(のみこめ)るだらう」

『日本道を邁く』(杉山晸勇、日本精神宣昭会出版部)は奥付に昭和10年6月1日発行とあるが、11年5月25日印刷で、二・二六事件にも触れてゐるから11年6月の誤記であらう。 巷にあふれた日本精神に関する出版物と一味も二味も違ふ。引用などは少な…

酒井栄蔵を訪ねた門田勲

『新聞記者』(門田勲、筑摩書房、昭和38年12月)は書名だけでは新聞記者についての解説書のやうだが、実際は東京朝日新聞記者だった門田勲の半生記。カットは佐野繁次郎。 カバー袖の惹句に力が入ってゐる。 新聞記者ならではの鋭い観察眼、痛烈な諷刺…

同人雑誌『宇宙の黴』を発刊した茂木久平

茂木久平の自伝「真説 人生劇場」が面白かった。茂木の通った開成中学校は秀才ばかり。生まれながら叛骨精神を持ってゐた茂木が友人たちと始めたのが『宇宙の黴』といふ摩訶不思議な題名の文学雑誌。ちゃんと定価もついてゐる。トルストイの影響だといふが、…

野村胡堂に藤田勇を紹介された譚覺眞

『潜行三十年』(譚覺眞著、文言社、昭和52年10月)は譚の日本での潜行ぶりを中心に記した文集。譚は1909年広東省生まれ。早稲田大学に留学後、汪兆銘政権に参加。駐日大使館情報部長などを務めた。 巻頭には写真が多数。梅機関協力者として谷萩那華…

日本調査学院を設立した石田武子

『財界』(財界研究所)の昭和37年12月15日号を読んでゐたら大木惇夫が出てきた。 「リレー対談 懐しの水野ウドン屋」は大宅壮一と水野成夫の対談。大宅は昭和の初めごろ、熱海に翻訳会社をつくり、失業青年らを働かせた。大木惇夫は韻文担当部長。 大…

検閲官に感謝する鄭然圭

『皇道理論集』は鄭然圭が国体や神道、皇道についての理論をまとめたもの。昭和17年5月刊。 著者は朝鮮出身で、神話や日本の歴史への、半島や大陸の影響を論じる。日本にとって進んだもの、よい物がもたらされたといふ説が多いなか、鄭は悪影響を取り上げ…

読書療法を紹介した『光の門』

『光の門』は光明思想普及会の冊子。昭和11年5月発行の非売品。本文48ページ。編輯兼発行者は佐藤勝身。生長の家を宣伝するもので、教団の本や機関誌の抜粋、手紙に加へ、一般紙からも参考になりさうな記事を集めてゐる。表紙にはスタンプで「お読の後は…

『警察協会雑誌』を読んでゐた谷口雅春

文書伝道に力を入れ、紙の宗教ともいはれた生長の家の谷口雅春。出版にまつはる逸話も遺る。 『生命の教育』昭和12年2月号の『日本人型と張学良型』には初期の熱心な信者、H氏が出てくる。H氏はいつも『生長の家』のバックナンバーを風呂敷に包んで持ち…

「クスリは星、政治は比佐」の比佐昌平

『日本雄弁家名鑑 現代名士推薦』は『雄弁』昭和10年4月特大号の付録。創刊25周年記念。青木得三から鷲澤與四二までに故人44人を加へた420人の雄弁家が紹介されてゐる。 特色の一つは紹介文の中に、弁論の様子を盛り込むやうにしたこと。もう一つ…

古澤幸吉「蘭花凋落 干那開く」

『古澤幸吉自叙伝 吾家の記録 村上・厚岸・東京・ハルビン』は昨年5月発行の、古澤幸吉(北冥)の自叙伝。中を読むと、三浦梧楼の書生として閔妃事件に立ち会ったとか、二葉亭四迷と露和字書を編纂したとか、話題がだいぶ古い。 年譜によると古澤は明治5年新…

日本書紀神代巻の書写を勧める猪熊信男

『互助』は財団法人宮内省互助会の発行。職員を対象としてゐる。昭和15年12月発行の第40号は「特輯紀元二千六百年」。回顧録では、2編寄稿してゐる時岡茂弘元宮内省翻訳官のものが興味深い。1つは「嘉永七年内侍所炎上に就いて」。父、茂承は采女の…

桜沢如一「ウナギの国、日本」

神保町にできた鰻丼屋さん500円で、月に一度はもっと安くなるとかどういふことなの。 マクロビの創始者、桜沢如一の著書に『うなぎの無双原理―新しい立身出世の秘訣』がある。昭和16年10月初版で、手元のものは昭和47年7月の第2版。発行所は日本C…

伴林光平の心境を体験した茂呂宣八

続き。真如親王奉讃会には鈴木善一の他にも、神兵隊事件関係者が加はってゐた。栃木出身の茂呂宣八は、終戦後も徹底抗戦を主張し愛宕山に立て籠もった後に自決した尊攘義軍十二烈士女の一人。 『大願』では毎号のやうに編集後記を執筆。役員一覧には名前がな…

真如親王の夢を見た人々

澁澤龍彦の『高丘親王航海記』で知られる高岳親王。別名真如親王で、平城天皇の皇子。昭南島、現在のシンガポールで薨去されたとして戦時中に奉讃運動が盛り上がった。 真如親王奉讃会の機関誌として『大願』が発行された。昭和18年5月号には役員一覧が載っ…

藤沢親雄兄弟と旅行した福冨忠男

『あぶく』は地質学者、福冨忠男の随筆集。昭和41年8月、国土社発行。装丁・カットは斎藤愛子。序文は徳川義親。 福冨さんとの交遊は世俗に堕ちず、学究的でもなく、時に近く、時に遠く、飄々乎として風船玉の如きものか。正に この あぶくの著者先生こそ…

高橋伸典「さあさあさあという言葉は朝朝朝」

『日本は世界に叫ぶ 憲法改正必要の意義』は高橋伸典の著。昭和39年8月、郡山市の大和道本部発行の非売品。 手元のものには旧蔵者による書き込みがある。著者には批判的で、傍線や「ヤレヤレ」「独断」「?」などとある。 かがみ という言葉の中にある「…

島田清次郎がフェイクニュースの材料にされた理由

『信州及信州人』(昭和3年一月二月合併号)に「特別読物 記事を売る」が載ってゐる。著者の伊藤松雄は脚本家。新聞の特置員とあるから今でいふ通信員で、普段は山羊を育てたりしてゐた。ある青年から、双倉胴太郎の暗殺未遂事件があったといふ特ダネを教えて…

磯部浅一の「獄中手記」を隠してゐた吉田彦太郎

『憲兵秘録』は昭和31年4月15日初版、鱒書房発行。手元のものは4月20日の再版。明治32年生まれ、東大法学部卒の元憲兵、角田忠七郎の執筆。出版時は弁護士、全国憲友会委員長。 明治・大正篇10件、昭和篇11件、外地篇9件と、憲兵にまつはる計…

これは広報マンの遊びなのである‐グループGeraの『広報痴典』

『広報痴典』はグループGera編・発行。昭和47年2月発行。福岡県内6市の担当者が集まり、広報に関する用語を辞典風にまとめたもの。冗談の中に毒や本音が吐露されてゐて面白い。もとは同人誌『Gera』の連載。 例えば あいさつ【挨拶】 くだらない首長ほど…

『祖国』を編集してゐた水谷まさると柴野民三

『随筆サンケイ』(サンケイ新聞出版局)の昭和38年6月号(10巻6号)に、雑誌『祖国』のことが出てゐた。北一輝の弟、北署吉主幹の思想雑誌。当初は総合雑誌風で、文芸作品も載ったが、のちに団体の機関誌になった。 絵本作家、柴野民三が「放尿放談」で回…

星一「妥協は悪魔の声」

新年度なので新しい抱負を持ちたい。星製薬の標語では「親切第一」が有名だが、星一は一時、「任務断行」を掲げ、機関紙も発行した。 『任務断行』は星製薬の任務断行期成団によるもの。「任務断行」の語が随所にちりばめられ、星製薬関連の記事や広告が紙面…

『東亜先覚志士諸霊録』に載ってゐる人々

彼岸になったので早く暖かくならないかな。 『東亜先覚志士諸霊録』は頭に「紀元二千六百年記念」「黒龍会創立四十年記念」とある。 昭和15年11月15日に執り行はれた東亜問題先覚志士慰霊祭に合はせて作られたと思はれる。12頁建ての新聞体で、実物…