正に罪穢天下に満つ‐田中治吾平の天下大修祓会

 『神風』(大正13年8月1日発行、第439号)を読んでゐたら、田中治吾平の名前が。べた記事二つなので、目次には載ってゐない。
 7月12、3日頃、記事の筆者である「鉄峰光」子の所に来電があり、16日夕方に二重橋前で修祓をする者があるさうだが誰が主催かと言ふ。方々に電話をかけてみたが結局分からなかった。天下大修祓会が16日午後六時に予定通り二重橋正門外の広場で斎行したが、その正体は当日の新聞を見ても区々で判然としない。そこで試しに訪問した国教学館の田中治吾平に聞いてみて、初めて同館と生国会の村井氏との共催だったことがわかった。
 七月だけでなく八月九月にも行い、七月中にもう一回末日にもやりたいと意気盛んである。筆者は、仏教やキリスト教がアマチュアの手に移りつつあるやうに、神道も「衣冠の徒」以外に生れようとしてゐると注視してゐる。田中は神道家だけれども、社家や神職でない微妙な立ち位置。だからこそできたのであらう。また神道界の主流でなかったので、記者子が電話取材しても捕捉できなかった。午後六時といふのは神事にしてはちょっと遅い気がするが、イベントの意味もあったのであらうか。
 22〜23頁に「天下大修祓会趣旨」「大修祓宣言」。

 天下大修祓会趣旨

 外には口に正義を高唱し手に残賊の利刃を握り、内には文明の毒酒に酔ひ日に文化を唱へて淫蕩浮華の生活醜陋私欲の悪習に堕するあり。正に罪穢天下に満つ。先に突如として下れる震災を天譴と解するは衆口の一致する処にして、今や更に排日の不祥事を見る。人たるもの何ぞ戒心自省せざるを得んや。小私宅の建設にも地鎮祭を行ふは常なるに大帝都の復興に神威を和めざるは何ぞや。民心の頽廃も又甚しからずや。復興の差失多きも宜なりと云ふべし。吾人同志日を期して集まり帝都を始めとして大に天下四方の罪穢を祓除し内には国民をして奮起作興し清明心に帰せしめ、外は海外諸国民をして正義人道に帰せしめん事を期す。

 
 大修祓宣言

 一国民よ崇外自卑心を去れ
 一国民よ淫蕩奢肆の習風を去れ
 一国民よ汝の虚飾と不真面目を去れ
 一目先の小利にのみ執着する勿れ男子よ
 一汝の足下を忘るるな婦人達よ
 一政治家よ汝の党臭を去れ
 一官吏よなんぢの官臭を去れ
 一商人よなんぢの盲目的我利心を去れ
 一人類よなんぢの不正義を去れ

記者子は「万能膏薬の嫌ひが無いでもない」と言ってゐるけれども、なかなか如何して。少し文言を変へれば今でも通用する。