赤尾敏とザリガニと韓国

『日本』といふ月刊誌は過去にいろいろあった。手元の『日本』は愛国出版社発行。昭和28年12月発行。裏表紙は第一巻第九号だけど表紙には第一巻第三号と誤記。この号は赤尾敏・演説骨子特輯と銘打ち、47頁すべて赤尾敏の主張で埋められてゐる。

 

 卑近な例ではあるがエビガニが各々分相応な武器を持つて居るが、あの武器である鋏こそ彼等の自衛軍備なのである。エビガニはあの武器によつて敵の侵略を防いで自己の生命を護り、又、その武器を以て餌を闘ひ取るのである。つまり、彼等は自衛の軍備をすることによつて生きるためのパンを得るのである。彼等が若し、絶対平和の夢に酔ひ、重大な錯覚に陥り、敵の謀略にのつて愛されるエビガニとなるがために、自からの自衛の武器を捨てて丸裸になつたならば、エビガニは自分達に必要なパンである餌をとることも出来ず、自分自身さへも敵の侵略を受けて敵のパンとなり敵の餌となつて喰はれてしまふであらう。エビガニのみならず、生きとし生けるもの蟲けらに到る迄、自衛の軍備たる武器を持つて居るのである。

 このエビガニはアメリカザリガニのことでせう。ザリガニが北米からの外来種であるのを知らずにエビガニと言って居たのであらうか。日本のエビガニだと思ったから軽武装の例に挙げたので、北米由来の外来種だと知ってゐたら、軽武装のイメージにそぐはないと思ふ筈。赤尾は大日本愛国党党首であるとともに、日米親善協会の責任者でもあった。

 

 日本が今になつて遅ればせにチャチな再軍備をしたところで、こちらから進んで何処かの国に戦争をしかけやうといふのでは勿論ない。原子戦の時代に、僅かばかりの自衛軍備をしたからとて原子力をもつて居るソ連にもアメリカにも手出しの出来ぬことは三才の童児にも解ることである。それを日本が再軍備するのは戦争をするが為だなどと、再軍備と戦争とを一つに結びつけて宣伝するのは赤の再軍備反対のための一つの謀略に過ぎないのだ。
 日本の再軍備は断じて侵略戦争を捲き起すがためのものではなく、ひとへに自国の安全と平和とを守り世界の平和愛好の国家群とともに世界平和に寄与せんがためにほかならぬ。

とも言ってゐる。エビガニの文章でも、「分不相応」ではなく「分相応」とある。意外にも重武装といふよりも軽武装再軍備論者であったことがわかる。
 また日韓親善協会も創設し、かう主張してゐる。

 日韓は徹底親善で行け。

 日韓は相互に目前の利益や感情に走つて対立闘争を激化することは愚の骨頂である。共同の敵中ソの侵略を前にして兄弟垣に相せめぐ結果となる。竹島問題や漁業問題のごとき末梢的な問題のために大事を謬り中ソの謀略に陥入つて日韓共倒れの悲劇を捲き起こしてはならぬ。聖書にあるが如く汝の隣人を愛せよで世界の平和を希望する前に最も近い隣組である日韓両民族は、大局の前に一切の障害を克服して共栄共存し大道に就くべきである。

当時は冷戦下で、強大なソ連に対峙するため、このやうな国際反共同盟論が必要だった。泉下の赤尾党首は今何を思ふだらうか。