2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

武者小路実篤「留ちやんはいつまでも僕には留ちやんである」

秋に暗殺の多い気がするのはどうしたものか。 武者小路実篤の「『新しき村』にゐた『留ちやん』」(『婦人公論』昭和6年1月号)は、「新しき村」にゐた兄弟の思ひ出。兄の巌は電気の知識を持ってゐたので、新しき村を電化するために毎日武者小路と話し合った…

ハイヒールで通学した野本義松

『ニコニコ生活』は昭和27年4月、人事新聞社の編。題名にニコニコとあるから不動貯金銀行の関係かと思ったら、直接の関係はないやう。長岡出身で、選挙に立候補した野本義松の講演録。時々ニコニコといふ言葉が入るだけで、特にニコニコ論を展開してゐる…

約束破ったタゴールを震へ上がらせた本間憲一郎

文治堂書店から出た、宗教哲学者の斎木仙酔の伝記には、タゴールやアブドル・バハ、松村介石も出てくるさうなが、まだ見る機会を得ない。 タゴールといへば本間憲一郎である。『本間憲一郎先生の面影』は昭和39年10月と「あとがき」にある小ぶりの本で、…

南九州の兵隊が強いわけ

小畑惟精は明治16年熊本県生まれ。浜田病院院長の産婦人科医で、昭和30年から2年間、日本医師会会長も務めた。 『喜寿 一生の回顧』は奥付けがないけれど自序は昭和34年4月。全520頁のなかなか浩瀚な自伝になってゐる。目次だけで三段8頁に及ん…

白々教の出現も日本敗北も予言した鄭鑑録

『人権十年』は津田騰三方にあった人権十年刊行会発行。発売元は新小説社、昭和33年11月発行。函は権の字が木+又の略字になってゐる。 64人の弁護士が文章を寄せてゐる。田多井四郎治「法と道徳との淵源について」は題名は普通だが、中身は五十音の音義論で…

天野辰夫のお説教と千早特高課長の昼食

天野辰夫が愛国者・民族派の弁護士だったといふのは何となく知られてゐるけれども、その為人の一端がわかる文章があった。 『民族と政治』の昭和49年4月号に、毛呂清輝が「天野辰夫氏を偲ぶ」を寄せてゐる。初印象では天野が厳父、前田虎雄が慈母、本間憲一…

木村松治郎の校正の和歌

『明治大正昭和国民同朋和歌集』(三井甲之選、しきしまのみち会大阪支部発行、昭和53年2月1日発行)は三井の没後、木村松治郎がまとめたもの。 中に一枚の正誤表のやうなものが入ってゐた。 「校正をしつつ」と題して、6首の和歌が添へられてゐる。 「出版を…