2014-01-01から1年間の記事一覧

宮崎滔天に会った本荘幽蘭

『宮崎滔天全集』にはしっかりした人名索引が付いてゐる。本文に加へ解説も採録範囲なので、同時代人でなくても載ってゐる。ところがなぜか年譜は対象から除外されてゐるので、滔天と関係があっても、人名索引からは分からない人もゐる。 その一例。年譜によ…

アマラとカマラと谷口雅春

光明思想普及会発行の『行』は『いのち』の後継誌。総合雑誌風の体裁から、谷口雅春個人雑誌へと衣替へし、分量も薄くなった。 昭和16年8月号は結核予防特集号で、3月に神田結核予防会講堂で行はれた座談会が収録されてゐる。出席者は厚生省結核予防課長…

木谷新鸞「ジヤン拳は国体精神を現はす日本遊戯」

『モンペール』は定価10銭、本文42頁のパンフレット。教材社、昭和12年5月発行。表紙の「葉隠精神の一考察」は大木陽堂の執筆。 ほかにも修養や仏教の記事が掲載され雑誌のやう。しかし目次も巻号も明記がない。「モンペール」はフランス語で「お父さ…

柳原白蓮も支持した大真協会

『黒い宗教 その実態と悪の構図』(石井岩重、AA出版)は、いはゆる新宗教の暴露本で、金銭や人事問題を取り上げて、非道ぶりを指摘してゐる。帯の惹句には 現代をむしばむ邪教症候群 これでも信じますか! 不信の時代をあざわらうかのように現代にはびこる邪…

高佐貫長「活動写真も休養も戦争の一つ」

折口信夫が昭和18年3月に鶴岡八幡宮で行った座談会。その参加者に日蓮宗善行院住職の高佐貫長といふ人がゐた。 高佐貫長『国体信仰講座 第一巻』は、高佐が開いてゐた行道塾の講義録をまとめたもの。行道文庫発行、昭和17年12月8日発行。 端々に、な…

朝日新聞の守衛になった長谷清一

久琢磨(ひさ・たくま)は朝日新聞社員にして、植芝盛平、武田惣角の両名から武道を伝授された。その大東流合気柔術は後進にも伝へられた。 『風雪 長谷清一自伝』は、久の後輩の自伝。昭和41年8月15日発行。非売品の自分史で、ところどころボールペンで修…

長澤九一郎「『氏子総代』の強化を以て所謂『新党』の任を果さしめん」

長澤九一郎は転向者で、『生産権奉還』などの著書がある。遠藤友四郎と文体が似たところがある。 『神皇一体の原義と氏子再組織=我等は「氏子総代」の強化を以て所謂「新党」の任を果さしめん=』といふ冊子を、翼賛社論策集(2)として昭和15年6月23日…

松岡駒吉「大産業を奉還せしめ社会主義日本建設を提案す」

本当に選挙するんだなあ。 松岡駒吉の選挙チラシは横長で、折って郵送できるやうになってゐる。社会民衆党公認で東京第五区から出馬とある。 その主張は「大産業を奉還せしめ社会主義日本建設を提案す」。目的にかうある。 大化の改新、明治維新に執りたる我…

眼鏡をかける理由は一つではない

なんだかんだ言ってもやはり読書の季節は秋なんだなあ。 読書人には眼鏡をかける人も多いかと思ふが、眼鏡をかける理由は一つではない。 『生命ノ教育』の昭和10年10月号(第1巻第3号)は「近眼は治る」特輯号。発行所は光明思想普及会で、谷口雅春が監…

児玉誉士夫出版記念会の出席者たち

以前、帝国ホテルで開催された児玉誉士夫『芝草はふまれても』の出版記念会のことを少し書いたけれど、もっと詳しい記事があった。 昭和31年5月15日発行の『週刊読売臨時増刊 現代奇人怪物読本』は、グラフ頁は大藤信郎。近藤日出造が北村さよ、徳川夢…

山本有成「異端とは何の事ですか」

『我が父の面影』(昭和6年10月発行、山鹿旗之進編)は山本有成の生涯をまとめたもの。安政2(1855)年生まれで、昭和5(1930)年10月19日に亡くなった。 父は津軽藩士の坂巻並衛。江戸に生まれて一旦弘前に行き東京に戻り、名古屋外国語学校、東…

早川雪洲「勝つチャンスは、一度か二度は必ずある」

『如是々々』は昭和63年2月刊、「宮川隆人喜寿出版を祝う会」が発行者。確かに手元のものには、喜寿を迎へた宮川隆人が献呈署名を書いてゐる。公的機関の所蔵が殆どなく、近親だけに配布したらしい。 しかし受け取って読んだ人は何を思っただらうか、宮川…

力なき女なれども‐千家照子『朱櫻』のこと

千家尊建は旧名を鐵麿といひ、渥美翁や満川亀太郎、西川光二郎、田尻隼人らの聖日本学会に加はり、日本主義運動に携はった。その妹が千家照子で、昭和7年1月に37歳で帰幽した。歌集『朱櫻』は生前の昭和5年に出雲詩社から刊行された。没後の昭和8年にそ…

下中みどり「これが男女同権か、あなおそろしや」

『みどりの日記』は下中弥三郎夫人、下中みどりの日記。昭和27年2月1日から書き始め、中断を挟みながら29年12月2日で終ってゐる。他界したのは翌30年1月26日。奥付けは3月16日になってゐる。 末尾に弥三郎の挨拶文がある。「内容も、相当に…

朝日平吾の墓参りをした頭山翁を問責した安法探

『失敗者の言』は昭和17年8月の発行。書物展望社の発行だからか、装丁が御洒落に見える。著者は安法探。もちろんアンポンタンのもぢりだらう。巻頭に眼鏡の著者近影があるが、署名はやはり安法探。 弁護士の鵜沢総明を恩師としてゐるが、詳しいことは韜晦…

トルストイを原書で読んだ平佐二郎

続き。平佐二郎は平佐是純陸軍騎兵学校校長の次男。特務機関員で、他に檜山昌平、火山将軍ともよばれた。白系露人、セミョーノフの金塊事件と関はりがあるかのやうに新聞に書き立てられた。しかし新聞記者が山口の実家を訪ねると、非常に貧しい暮らしぶり。…

汝ら互の足を洗へ‐洗足団を組織した林省三

『荒野の石―美しき真珠を捜す商人物語』(林省三、甲陽書房、昭和39年6月刊)は書名だけではちょっと内容が分からない。著者の林省三は明治19年京都生まれ。救世軍での伝道、朝鮮での融和運動、安眠島での松脂事業に奮戦力闘した人物で、本書には二段組5…

藤井五一郎が会長を務めた「行の会」

続き。藤井五一郎は蒙古で、徳王にも会ってゐる。住吉国雄が藤井から聞いた話を記してゐる。 徳王の家には上等のジョニオーカーや洋菓子などがあって、蒙疆のサイハテの地にこんなものがあろうとは思いも寄らぬことだった。馬の乳を醸造してつくられた馬乳酒…

「日本暗殺秘録」のシナリオを書き直させた藤井五一郎

『藤井五一郎の生涯』(藤井五一郎追想録刊行世話人編集発行、昭和46年10月刊)は、背も表紙も「藤井五一郎」の部分が達筆で判読できず、一見誰の本か分からない。しかし読んでみると、その人柄や交友が分かる。 藤井は血盟団事件や帝人事件で裁判長を務め…

朝日新聞調査部の切り抜きを読んだ徳川夢声

続き。岡田茂吉からNHKのラジオ放送をしたいと言はれた金川文楽。 教祖が録音の注意を聞くので、私はアナウンサーに何を聞かれても「こうです」と断定しないように、「私はこう思います」とそれから、科学や医者を頭から排斥しないよう、と、くれぐれもい…

水晶で世界中の戦死者を慰霊した金川文楽

『自伝 素っ裸人生』(金剛出版、昭和38年11月)は、現代流の義太夫、金川節を大成しようとした金川文楽の自伝。 でも義太夫の話は殆ど出てこない。多彩な交友録が興味深く、しかもなぜか宗教者が多い。 昭和26年9月8日はサンフランシスコ講和条約調印…

五色屋書房主「皇道に背くものは発行せず」

『神代の絵話』は丸尾博通著、五色屋書房刊。昭和11年3月1日印刷、同5日再版発行。頭山翁の揮毫がそのまま表紙の書名になってゐるのが珍しい。「神代」だけ字が大きく見える。途中で名前が入らなくなるのに気づいて、「絵」を小さくしたのでは…。富士山…

熊谷禎総「何故大祓の威力が発現しないのでありませうか」

うかうかしてゐたら8月も終はりさうで、それはつまり大祓から二ヶ月が経つといふことになる。 『皇道』といふ誌名の雑誌はいろいろあって、平野力三が編集したことが占領中になって問題視されたのは、政治結社皇道会出版部が発行したもの。試みに手元の昭和…

台風で溺死寸前になった古屋登世子

昭和37年に『女の肖像』を上梓した後の古屋登世子は何をしてゐたのか。八光流機関誌の『八光流』昭和42年1月号に古屋が寄稿してゐる。 八光流は奥山龍峰が興したもので、「柔道にあらず合気道にあらず空手にあらず、従来の武術の範疇に見られない独特の…

武藤貞一「なほ米英が儼存するなぞとは夢想だもせぬ」 

武藤貞一『論策集 日本刀』(統正社、昭和18年6月)は、昭和17年後半に『読売報知』に載せた文章をまとめたもの。武藤は大阪朝日の「天声人語」はじめ、いくつもの新聞に執筆、多くの読者を持った。 早くからの対米英戦争主唱者で、見出しに「憎むべきグ…

古屋登世子の後援者たち

続き。古屋登世子は心身共に数々の危難に陥るが、味方も現れる。古屋事件の法廷闘争に助力したのは古川利隆。 坪内逍遥の高弟として、わが国劇団の革新運動の第一線に立ち、とくに宗教劇の俳優として釈迦、提婆、基督、役行者、法然、日蓮、親鸞等、その他、…

悪魔大王と戦った古屋登世子

古屋登世子が著した自伝『女の肖像』(アサヒ芸能株式会社出版事業部、昭和37年9月)。村岡花子や柳原白蓮の英語の先生だが、壮絶な生涯だ。 白蓮が書いた序文が只者でない。題は「不思議な存在」。 今更こし方五十余年の春秋を思うと、並々ならぬ縁の深さ…

柳原白蓮「つまり元が同じ東洋人で兄弟だからであります」

『新時代卓上演説集』は昭和12年1月発行『雄弁』の附録。有名人の実際の挨拶が収録されてゐる。慶弔や送迎、祝賀など約150項目も載ってゐる。山室軍平「結婚を祝うて」、高田義一郎「病気全快祝に招かれて」、甲賀三郎「出版記念会の席上で」、木内キ…

頭山翁も賛助した相愛会の朝鮮相撲

『写真通信』(111号、大正12年4月号、大正通信社)より。 内鮮人聯合を目的として生れた相愛会では二月中旬犬養頭山床次後藤河野の諸名士を賛助として国技館に於て朝鮮角力が行はれた、此の角力は朝鮮古来の武士道として発達したもので別に土俵とてはなく、力…

『徳川家康』を生んだエジソンバンド

知る人ぞ知る謎の健康器具、エジソンバンド。頭に巻くと冷却によるものか磁気によるものか、血行がよくなりよい働きがあるといふ健脳器だ。 昭和30年代に流行ったといふ人もゐるが、戦前から存在してゐる。 『いまなぜ家康か―父・山岡荘八と徳川家康―』(山…