2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

女郎屋の主人になった中江三吉

続き。『向上』主筆の宮田脩は同号に「青楼に近江聖人の後裔を訪ふ」も載せてゐる。蓮沼門三から、近江聖人こと中江藤樹の子孫が女郎屋の主人になったといふ話を聞いた宮田。早速横浜に、その中江三吉を訪ねた。 電車を下りてからの風景と心の描写が秀逸。 …

宮田脩「野依秀市は沙漠のオアシス」

修養団の機関誌、『向上』。明治45年5月号の第5巻第5号に、横山三義「野依君は果して吾等の学ぶべき人物か」が載ってゐる。目次では「野依氏は果して吾人の学ぶべき人物か」。 蓮沼門三から「野依は奇狂な点もあるが珍らしい人物である交際して趣味のあ…

山口二矢神社建立を計画した高津大太郎

「“山口二矢神社”建立計画」といふ記事が『アサヒ芸能』昭和35年11月20日号に載ってゐる。本誌・大歳成行の署名。 3ページのうち、はじめに山口の眼鏡のない遺影、護国烈士山口二矢君国民葬儀実行委員会事務局と治安確立同志会の表札がある事務所の写…

正富汪洋「断じて負けてはならない」

『歌集 やまとたましひ』は岡山出身の詩人・歌人、正富汪洋の著書。昭和19年3月、詩と歌謡の社刊。質素な装丁で著者名は表紙になし、背と奥付のみ。書名は表紙・背・扉がやまとたましひ、奥付のみ、やまとだましひ。 昭和18年7月付の自序を読むと正富…