山口二矢神社建立を計画した高津大太郎

 「“山口二矢神社”建立計画」といふ記事が『アサヒ芸能』昭和35年11月20日号に載ってゐる。本誌・大歳成行の署名。
 3ページのうち、はじめに山口の眼鏡のない遺影、護国烈士山口二矢国民葬儀実行委員会事務局と治安確立同志会の表札がある事務所の写真。
 神社建立の噂を追ふ内容で、その発信源は治安確立同志会の高津大太郎代表だといふ。スーツにネクタイ姿の高津の写真もある。記事では山口を祀る神社や碑を建ててほしいといふ手紙などを紹介。
 高津は

…日本の歴史を通じてこんな尊いお方はそうなかったと思います。だから現在、全国の少年の中に脈々として山口君を痛苦とするものがでてきています。そういった少年の希望にそうために、わたしとしては神社をつくりたいと思っています。…

 と主張する。これに対し、山口を知る赤尾敏

…山口坊やを神秘化して神として祭ることもやっていい。ただ、いまやるかどうかは深く考える必要がある。

 とし、反共運動など実際運動の方に力を入れるべきだといふ。どちらかといへば賛成といったところ。父の山口晋平は「建ててほしいとも思わなければ、他人が建てるのに絶対いけないとはいわないが…」と困惑の体。
 佐郷屋嘉昭は

…われわれは、いま外部へのPRより、内部で厳しゅくに弔いたい。

 と冷静な対応をよびかける。こちらはどちらかといへば反対といったところ。
 佐郷屋の言葉を勝手に敷衍すれば、神社を建立すれば 宣伝にもなり、多くの人がやってくるだらう、その中には真摯な人も、見物のやうな人もくるだらう。さうなることが本当によいことだらうかといふ意見。故人と向き合ふのは神社よりも個人的にお祀りしたり弔ったりする方がふさはしいといふことだらう。


団地ともおは探書譚。対象が文学書でなく、範囲が本屋にとどまらないのが〇。