2018-01-01から1年間の記事一覧

大山郁夫や張学銘、薄益三を襲った赤星猛嗣

『関東やくざ者(もん)』(藤田五郎、徳間書店、昭和46年発行)、手元のものは昭和49年の11刷と版を重ねてゐる。 鶴見騒擾事件を扱った「鶴見の硝煙」など全7章。そのうち「満蒙を疾駆した銀座の狼」の章が興味深い。これはボクサーだった赤星猛嗣の波乱…

熊谷久虎「俺は仙人だ」

『どん』は千代田テレビ電子学校放送芸術学部発行の非売品。 昭和52年3月発行の春季号には38人の有名人がアンケートに答へてゐる。好きな言葉を聞かれた回答で、田中小実昌は「好きな言葉などというのは、自分を安っぽくダマしているようなのがおおい」…

平泉澄「雑学を排し、正しい学問をしなければならん」

平泉澄『正学』は昭和16年3月、福井市宝永尋常小学校内、不忘会発行。「正学」(昭和13年8月6日)、「神仏関係の逆転」(昭和2年7月)を収める。「正学」からは平泉の学問観がうかがはれる。 唯漫然と書物を読み、漫然と色々の人に接し、自分はどう…

頭山翁を顧問に迎へた東光会

『東光会会報』第1号は刊記なし。設立趣意書は昭和7年10月、経過報告では8年1月末に、2月中に会報を発行するとある。 東光会は東京に居る、経済的に困窮してゐる朝鮮人を支援するための団体。日本人と朝鮮人の内鮮融和が基調になってゐる。会長・財政…

色盲表の印税で『あたらしい文字』を発行した石原忍

『あたらしい文字』は、あたらしい文字の会発行の機関誌。昭和35年8月に創刊し、38年3月発行の通巻26号をもって休刊した。発行の経費は、石原忍博士の石原式色盲表の印税によって支弁されてゐた。 石原博士が亡くなり後継者もゐないので続刊が難しく…

野依秀市「強ひられてなほ出ししぶるものは言語道断である」

野依秀市『敢て御注意申上候』は実業之世界社、昭和7年4月発行。52頁の冊子。団琢磨、井上準之助がなぜ血盟団員に暗殺されたかについて、持論を展開する。団は三井合名の理事長。金は自分で稼ぐもので他人に世話になるものではない、といふ考へだった。…

桜沢如一「私がもし第二の二・二六事件を起すなら」

桜沢如一『健康戦線の第一線に立ちて』は昭和16年6月、滋賀・大津の無双原理講究所発行。表紙の人口グラフが戦火の炎のやうに見える。 桜沢は心身の健康がいかに大切さを力説する。健康でなければ、戦争にも負けてしまふ。病気のことを、「姿なき殺人魔」…

倉田留吉『三大詔書と新日本国民の使命』の賛同者たち

『三大詔書と新日本国民の使命』は大阪の修養学館教頭、倉田留吉の書。大正14年2月、修養学館労使平和協会発行。 明治の教育勅語、大正の戊申詔書、精神作興詔書を取り上げて解説したもの。ルビで修羅戦場にワイールドバツトル、馬鹿にアンワイズリ、守護…

松木行賢「廃仏といふよりは興神であつた」

『先意堂遺稿』(昭和4年5月発行)は松木行賢の遺稿をまとめたもの。 松木は新潟の真宗大谷派専明寺住職。安政6年7月生まれ、大正12年4月、65歳で没。 詩文、俳句、雑著に分かれる。雑著の中に松木の回顧録が載ってゐて、明治期の宗教界の混乱が描か…

読売に従軍手当を出させた小山義一

『追憶』は亡くなった小山義一のために編まれた文集。昭和27年9月、追憶編集委員会編纂の非売品。表紙の似顔絵は近藤日出造。 年譜などによると、小山は明治41年、茨城県古河市生まれ。叔父は政客の小山久之助。再従兄弟は代議士・旭海運社長の小山亮。…

頭山翁に握手された田崎廣助

『東洋の心 絵筆と共に八十年』(西日本新聞社発行、オリエント書房発売、昭和54年6月)は画家、田崎廣助の自伝。西日本新聞社の連載に加筆したもの。河北倫明らの原稿も載せる。 田崎は明治31年、福岡の八女生まれ。洋行の資金を集めるため、新聞社で…

上杉慎吉「試験の朝は一種緊張した愉快な気持がした」

『三百三十三名家 洗心道場』は日本新聞編輯局編、昭和4年3月発行。日本新聞の1面に掲載された、名士333人の論説をまとめたもの。題字は小川平吉。装幀は殿木眞。 新聞の名前通り、「其基く思想は日本主義の上にあります」のが特色。いはゆる日本主義…