作田荘一「帝国大学は鵺的存在であった」

 作田荘一『戦敗れて道明かなり』は昭和27年11月、日新社発行。『祖国』『桃李』などの文章をまとめたもの。はしがきでは、新聞が作田のことを右翼の黒幕だと書いてゐることに触れてゐる。

私如きに踊らされて動くやうな人は一人もゐないだらう。(略)せめて真に祖国を念ふ方々に演じて貰ひたい脚本を書くことだけが、残された望ましい仕事とも思はれる。

 京都帝国大学教授だった作田。だが書名と同名の巻頭論文では、帝国といふ言葉は他国を侵略する帝国主義のものだといって否定する。

大日本帝国」の名号は世界社会に加つて「人の道」を奉ずる列強帝国と並び立つ意味に用ゐられたが、その点では「神の道」を奉じて立つ意味の「神国」「神州」に比して甚だしく品格を下だしたのである。(略』「帝国大学」に到つては実に奇怪な存在を示して来た。これも名称では日本が皇国から帝国に移らうとする空気だけは漂はしていたが、その内容は他に類例の稀なものであつた。

かつて我が国の帝国大学は、どこの帝国のために立てた大学であるのか、性格の不明な一つの鵺的存在であつた。その帝国大学の中から筧克彦博士の皇国観の如き類の稀な識見も現はれたが、これは勿論帝国大学人の多くから全く継子扱ひにされた。

 筧克彦のやうな皇国観を持った人物は帝国大学では例外的な存在で、正当に扱はれなかったといふ。
「人の道」といふのは、現在では人の道に反するとか人道主義などといってよい言葉だけれども、作田の使ひ方は違ふ。「神の道」と対極的な、神を否定する見方で、自由主義共産主義もその一つである。
 大東亜戦争は帝国と皇国とが混在して、必ずしもその性格が明らかでなかった。敗戦によって、「帝国」は敗れたが、「皇国」のためにはこれでよかった。それで書名の通り、「戦敗れて道明かなり」なのだと論じてゐる。
 「国の祝祭日はかう改めたい」では、祝祭日を10に改廃した案を示す。3月31日に新設するのは国際節。これは安政元年の日米修好通商条約の調印日を太陽暦に改めたもの。6月30日は英霊祭。大祓の日に心を清めて英霊を祭るのだといふ。