加藤美侖「よいものは何万年経ってもよい」

『三大聖勅謹解』の表紙には摂政殿下台覧、若槻礼次郎推薦、岡田良平推薦、高田早苗校閲、遠藤隆吉校閲とあるが、著者名がない。表紙をめくった扉にやうやく著者、加藤美侖の名が現れる。現代のムックの形式のやう。
 奧付には大正14年12月、第5版のみの表記。東洋出版社発行で、発売元は坂東恭吾の家庭実用読書会。
 三大聖勅について解説したもので、子供のためにかみ砕いて、この上ないほどわかりやすく書いてゐる。教育勅語については、

たゞ文句を暗誦するだけで、肝心の意味が分らなくては、ありがたいお思召が一般臣民に行渡らないわけで、畏れながら残念なこと

 と、捧読の形式のみ大事にされ、中身が十分に知られてゐないと嘆く。
 忠孝など古臭いではないかといふ批判にも回答を用意してゐる。例へ方もわかりやすく、加藤の特徴が出てゐる。

古いものは悉くわるく、新しいものは何でも良いといふ理窟はどこにもありません。殊に忠孝などといふ心の上のことは、古い新しいで良い悪いを決めるべきものではありません。よいものは何万年経つてもよい。(略)月は何万年も前から円い姿で輝いてゐるが、今日誰だつて古くさいの何のといふ人はありますまい。

 「一旦緩急アレバ義勇公ニ報ジ」の箇所については、よく戦争のために死ねといふ意味だとか、天皇のために命を捧げろと言ってゐるとかいはれてゐる。加藤の解説では、

軍人ばかりでは戦争は勝てません。国民全体が、心を一つにして、各自の為すべきことを一生懸命やるといふ風でなければなりません。殊に今日は昔と違つて、武力といふよりも国民の力といふことが大切になつて来ました。

 日露戦争などの一大事には、私心を捨てて国家のために働くことが大事だといふ。その時に必ずしも軍人となる必要はない、特に現代では武力以外の分野にも注力すべきだと強調する。
 この書は明治23年の教育勅語のほかにも、明治41年の戊申詔書と、大正12年の国民精神作興詔書についても解説する。加藤はそれぞれが下された理由も述べる。日露戦争後、人間の気風は「籠の中から放された鳥のやうに」いい気になって飛び回り落ち着きがなくなった。無駄遣ひをするやうになった。これではいけないと民心を引き締めるために、戊申詔書を発した。
 「しかるに欧洲戦争などのひゞきを受け、近頃人の心にしまりがなく、危険な考へを持つ者などが出来」、その上関東大震災も起こった。そこで国民の心を奮ひおこすためにもう一度国民精神作興詔書を出した。
 加藤はここでも形式主義を批判する。

教育勅語でも戊申詔書でも、たゞわけもわからずに読んだのでは何にもなりませぬ。読んで、意味がわかり、その上実行しなければなりません。

 逆にいへば、教育勅語が出された後でも民心が落ち着かなくなったり、やる気が起こらなくなった。教育勅語さへあれば万事うまくいくわけでもなかった。形式ばかり重視し、中身を読んで理解し実行する人などゐなかった。戦前戦後の中断よりも前から教育勅語が形骸化してゐたのではないか。