清水八十治「こんな旨い物ばかり食べていたら、人間は堕落してしまうぞ」

 『八十路 人々の縁に支えられて』は清水八十治自分史編纂委員会編、平成14年4月刊。清水八十治は自分の名前から、八十二歳まで生きることを目標にしてきた。念願かなって改めて生涯を振り返りまとめたのがこの書。
 世間的には、吉田茂の秘書として長野から衆議院議員選挙に出馬したり、電通の出身者らと広告会社、明治通信社を興したりといった活躍で名を残してゐる。
 ところがその前の戦前や終戦直後の経歴にも興味深いことがある。上京して早稲田大学専門学校商科に入学した清水。田中穂積総長から紹介されたアルバイトが早稲田大学付属図書館での貸し出し係り。仕事は気に入り、生活の基盤もでき、先生と懇意になり友人もできた。
 ただ不満だったのが、仕事中の服装問題。

“(略)図書館で本を貸し出す係りの俺としては、神田に行って、背広だ、ワイシャツだ、ネクタイだといって買わなければならない訳で、その分だけ割り損だよなあ…”などと、貧乏学生らしい浅ましいことを、腹の中で密かに考えていたことも事実であった。

 早大図書館では貸し出し係りでもきちんとした服装でなければならず、生活は苦しかったといふ。
 そのためほかの学生のやうに喫茶店や映画館などに入ることもできなかった。そんな中、友人のボース君といふのが出てくる。これは中村屋のボースの息子、防須正秀のことだらう。ボース君を訪ねたときに、奮発して中村屋でカレーを食べることにした。

“えらい高い買い物だなあ…”と感じた。それでも、これもひとつの経験だから、と食べてみたのだが、何とこんなに旨い物は初めて食べた。“こんな旨い物ばかり食べていたら、人間は堕落してしまうぞ…”と思う位旨く、あの時の感激は今もって忘れられないものである。

 「恋と革命の味」のキャッチフレーズもいいけど、人間を堕落させる味といふのもよささう。
 戦後は大麻唯男らとのつながりで、新会社の新世紀社から新雑誌『読物クラブ』を発行。「ちょっとしたベストセラー」になる。続いて岡村二一らから声がかかり、新雑誌『ロマンス』に関はる。清水は関連のロマンス商事の社長となり、物品を販売した。その中に「ナナホスミン」といふ滋養強壮剤があり、原節子が愛用した。熊谷久虎夫人が代はりに買ひにきたのだといふ。『ロマンス』のポスター前で撮った、社員の写真も載ってゐる。