『大衆人事録』の予約営業をしたピストン堀口

 露木まさひろ『興信所 知られざる業界』(朝日新聞社、昭和56年1月、のちに文庫化)読む。表紙の迷路図は安野光雅、装丁前島敏彦。いかがはしい人ばかり出てくる。面白くてため息をついた。
 関係者へのインタビューや臨時入所もまじえて、興信所業界の実態を描く。全7章。
 「探偵の顔・依頼人の顔」では異常な依頼が描かれる。三億円事件の現金のありかを知ってゐるから一緒に掘り出してほしいといふ老婆、さまざまな妄想に取りつかれた男。

 探偵さん、あなたテレパシーを信じますか? 私にはわかる。事実こうしてCIAが私を電波で見てるんだ。その発信地を捜査したいんだ……と自称区役所職員。

 「プライバシーへの挑戦」では探偵学校が紹介される。

「教授陣は、警察大学校の元講師、中国大陸で暗躍した元特務機関員、元東京地検特捜部員、日系二世の元CIA要員、現職の某国情報局員、防衛庁公安調査庁の関係者、公認会計士、税理士、弁護士といったオッソロシイひとばかりですぞ」

 「草分けたちは七十年」の章では、明治以来の業界の歴史を振り返る。終戦後に秘密探偵社を買収し、『大衆人事禄』を発行したのが広瀬弘。

広瀬は右翼から出馬したり、日本青少年愛護協会、赤十字奉仕団、防犯協会など無数の肩書をふりまわす血の気の多い人物で、悪い意味で探偵界の著名人にのしあがってゆく。元警察官、元憲兵、元特務機関員、元新聞記者などの猛者を集めて『大衆人事禄』の予約営業に走らせたのだ。その一人に往年のチャンピオン・ボクサー、ピストン堀口もいた。

 人事録商法の繁盛ぶりが目を引く。

業界紙・誌、週刊誌、広告屋、営業マンなどを転々としてきたはぐれ烏のような男たちが、格好の意外な食いぶちを見つけたとばかり流れ込んできたのだ。現在、いっぱしに探偵風を吹かしている中年派のほとんどが、元紳士録屋である。

 「会社防衛隊」の章は入社前の学生の身元・思想調査のやり方。

公安調査庁のOBが当社の顧問にいるんです。彼らのネタですよ。公安のコンピューターチェックをかなり安く自由に頼めて、思想調査ができる調査会社は、都内に五社ほどしかありません。…」

 違法だとか人権侵害だとかいふ言葉が浮かぶが、これにも裏がある。

「悲しき結末」の章はその内情。本気で思想調査を依頼する会社も、される興信所もほとんどないといふ。

とおり一遍の調べだから「思想穏健、品行方正、性格温厚な中流家庭の学生さん」ぐらいの結果がほとんどなので、企業は採否を決定する重要資料などとは考えてもいないのである。入社させたはいいが、社内犯罪や社会的な事件を起こしたり、仕事能力ゼロだったりした場合、興信所が調べて安心できる学生だったから、とすれば人事課長は処罰されずに済む。これが調査目的の九割を占める。

 なかにはずさんな調査が裁判に発展した例もあるといふ。

 読み進めると人間や社会の影の部分の話題ばかりでまたため息が出た。


サピオに著著多数を見つける。ここに限らずたまにある。