宮田脩「野依秀市は沙漠のオアシス」

 修養団の機関誌、『向上』。明治45年5月号の第5巻第5号に、横山三義「野依君は果して吾等の学ぶべき人物か」が載ってゐる。目次では「野依氏は果して吾人の学ぶべき人物か」。
 蓮沼門三から「野依は奇狂な点もあるが珍らしい人物である交際して趣味のある人である」と聞き、会ってみた。野依は初対面の女性記者に対しても遠慮がない。

「君はいくつだ、ソーか二十二か少し古狸だねい、…どうだ一体君が僕の妻になる気はないか、僕も年頃の男、しかも元気旺盛と来て居るから、欲も随分強い、君もその若さに新聞記者なぞして居るのを見れば普通人ではあるまい」

 古狸と言ってけなしたすぐあとに若いと言って、年頃で欲もあると求婚し、挙句に女性で新聞記者などしてゐるのは普通ではないとからかふ。
 横山は、このやうに天真爛漫なうへに、しっかり仕事もこなす野依の猛進奮闘努力を見倣へばなんでもできるだらうと読者に奮起を促す。
 同号には野依の新著、『無学の声』の見開き広告もある。この頁を切り取って送れば、定価1円20銭、郵税8銭のところを合計1円に割引するといふ。28銭お得。『向上』が1部10銭なので、だいぶ勉強してゐるのではないか。
 広告といってもほとんどが『向上』の宮田脩主筆の文章でびっしり埋められてゐる。

時に読来つて嫌な気のする部分がないではない。腹の立つ文字にぶつつからなくはない。随つて其所見を異にする点も鮮くはない。然し朝に源氏の心持を窺ひ夕に平氏の顔付を見るオベツカ者流と撰を異にする著者の意気には、中々愛すべき所が多い。

まるで、沙漠にオーシスを見るやうなもので、一理の異現象たる観がある是が戦国の時代なら怪むに足らぬが、制度は箱づめのやうに極まり、秩序は梯子段のやうに定まり、殆ど一寸の裕取を許さない間に、著者の如き猛烈なアヂテーターを見るのは、一つの奇蹟としてよからう。

 型にはまった社会のなかで、野依氏はまるで砂漠のオアシスのやうに貴重な存在だと褒める。そのほか「敵としても愛すべき敵だ」「近頃快心の好著述」ともある。
 良いところは褒め、悪いところは指摘する。文章量の多さも含め、これはもう広告を超えて書評といってよい。
 主筆の宮田は記事でもなかなか読ませるものを物してゐる。少し続く。