水原兵衛「余りに悲しむべき世の様にあらずや」

 『日本及日本人』大正15年11月1日号、第111号には、井上哲次郎の不敬著書問題を糾弾する文章が多数収められてゐる。井上の著書『我が国体と国民道徳』に国体の尊厳を冒瀆する箇所があるとして、頭山翁らが運動したもの。
 無記名論文「滔天の悖逆は其の責め有司大臣にあり」は、出版当時の内務大臣、若槻礼次郎を糾弾する。

内務当局が著書の改訂を命ぜず。一字一句、一行半句をも改めしむるなくして、原著そのまゝの印行発売を許容したるは、明らかに内務大臣の一大失態にあらずや。
 更らに所謂札付きの思想家、主義者の著書は厳正に之れを検閲するも、学者の著書は大目に見るといふが如きも、余りに不誠意の弁疏にあらずや。

 厳しい検閲の対象が、普段から共産主義無政府主義を唱へる者たちだけになってゐる現状を批判し、学者といへども十分に検閲するやう訴へる。
 水原兵衛「終に一人の義士なきか―井上博士不敬著書の読者中に―」は、著書の読者に批判の矢を向ける。問題の本は大正14年9月の出版以来、15年5月の6版まで版を重ねてゐる。水原は、一つの版で少なくとも1000部発行されたと計算。5000部以上は読者の手に渡ったといふ。

 一人も其の不敬を非難するものなく、其の不穏の文句を指摘するものなく、其の国体破壊の端を啓かんとするを憂ふるもの無かりしか。之が国士の頭山翁等によりて指弾せらるゝまでは、何人も之を咎めたるもの有るを聞かずさりとは余りに悲しむべき世の様にあらずや。

 水原の考へでは、発行されたものはすべて読者の手に届き、誤読も積ん読もない。内容に間違ひがあれば誰でも気づくはづ。それなのに誰も指摘しなかった、なんと悲しいことだらう、といふ。ここでは増刷も喜ばしいことではない。
 鷺城学人「似而非学者井上博士」はほとんど罵倒の口ぶりで井上を批判する。彼には独創がなく衒学の標本で、古事記大東文化学院の教育科目から外さうとした。問題の本は教員試験の受験者の必読書扱ひにし、「莫大な金儲けをしたに違ひない」。
 詩文欄も不敬著書問題を扱ってゐる。「日何看」と題した詩には、「警保局中刀筆吏、拭眸開眼日何看」とあって、手元のものには三重丸や傍線などが書き込まれてゐる。刀筆吏といふのは刀とか筆とか何となく格好いい感じがするが、調べてみると下級の役人とか、地位が低い小役人などとされてゐる。小刀で文字を削る人。「削るのが仕事なのに、どこに目をつけてゐるのか」といったところか。この詩を読んだ担当者はどんな気持ちで書き込んだだらうか。
 表紙には印あり。久慈は久慈学、課長の川崎はのちの衆議院議員、川崎末五郎と思はれる。