花見達二「奇人変人で一座ができそう」

『昭和記者日記』は花見達二著、昭和43年3月、雪華社発行。日記といふよりも、近衛文麿松岡洋右吉田茂ら政治家や言論人の思ひ出から政治史や戦後史を論じたもの。
 はしがきにいはく

マスメディアの一部の世界では、頭からひとつの概念で人物や事柄を決めつける傾向がある。傾向よりは流行であり、惰性でもある。イデオロギーに奉仕するため、故意にそうすることもある

 結びの言葉にいはく

 わたしは過去に奇妙な発見をした。学者、芸術家、政治家などで、とりわけ青年層から雄弁や理想家肌や、光るような顔つきなどで慕われ尊敬されている人気者が、まったく意外にシミったれた性格で、卑しく、エゲツない人物であることを、なんども目のあたり知って失望したことである。

 対象人物もほかではあまり取り上げられない人も多い。学者の斎藤晌(しょう)を論じて、その創作『死ぬる前に』を戦後日本文学の最高作品だと激賞、熊谷久虎に映画化を依頼したが不可能だと断られたといふ。
 花見は社歴を読売新聞記者から記してゐるが、実はその前の昭和2年に夕刊専門の東京毎夕新聞に入社してゐる。その頃を描いた箇所の方が面白い。
 毎夕新聞は「奇人変人で一座ができそうな顔ぶれだった」と回顧。「だが仕事はみな精いっぱいやった」とあるあやうに、編集部は独特の空気だった。社員としては吉川英治広津和郎新居格、御手洗辰雄、下川凹天、名前だけだが小山義一らを挙げる。他には松崎天民も在社してゐた。
 花見は自身が連載した「名流婦人回顧物語」にも触れ、誰が妖艶だったか、誰が豊艶だったかなどの思ひ出を記してゐる。