笹岡末吉『歌で憲法』に協力した藤原咲平

 『歌で憲法』は笹岡末吉著、渡辺千冬校訂、社会教育協会、昭和7年6月発行。
 大日本帝国憲法の条文を五七五七七の和歌で詠んだもの。無味乾燥な条文を誰にでも親しめるやうに工夫したのだといふ。長い条文は3首の和歌に分けたりしてゐる。
 校訂の渡辺のほかにも、坂本俊篤男爵、藤原咲平らにも意見を聞き修正してゐる。藤原はのちの中央気象台長として名高い。笹岡とは長野・上諏訪町の同郷で、跋を寄せてゐる。

笹岡先生は私の中学時代からの友達で、今は東京府立第七中学の国語の先生で、学問に熱心な外、よく人の世話をし、同郷人中での名望家で、人皆が推服してゐる。

 と評判のよさを伝へる。
 第一条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」は「大日本(おほやまと) すめら御国は とこしへに 一系の 天子 知ろしめすなり」にした。これに決まるまでの推敲の様子も載せる。はじめ笹岡は「知らしまつりき」としたが、藤原咲平が「知らしめすなり」の案を出して、そちらに決まった。
 笹岡、藤原に加へて、筧克彦も同郷。

同じく同郷の筧克彦先生も此方面の御企があるやうに聞いて居るが、笹岡氏の平易化に対して筧先生のは憲法の和歌化、または国粋化、または上代文化、又は神代化と云ふ様な頗る高尚なものゝ様である。是れは筧先生でなくては出来ない事であり、意義深いものであるが、民衆的に見れば其要求する処は笹岡先生のものにある事に疑はない。

 筧のは神代化といふやうに民衆とかけ離れてゐる、笹岡の方が民衆の求めるものである、と評価してゐる。藤原は両者を比較して、よく理解してゐたことが窺はれる。