真如親王の夢を見た人々

 澁澤龍彦の『高丘親王航海記』で知られる高岳親王。別名真如親王で、平城天皇の皇子。昭南島、現在のシンガポール薨去されたとして戦時中に奉讃運動が盛り上がった。
 真如親王奉讃会の機関誌として『大願』が発行された。昭和18年5月号には役員一覧が載ってゐる。会長は細川護立、顧問28人のうちには大川周明、葛生能久、小泉又次郎正力松太郎、徳川義親らが並ぶ。評議員30人は学者、宗教者が多く、花山信勝新村出ら。理事は23人でうち常任理事が16人。里見達雄、長井真琴ら。各官庁といふ項目もあり、宮内省以下15人。情報局の井上司朗の名もある。
 常任理事の一人が鈴木善一。神兵隊事件に加はり、『東亜文化圏』はじめ諸種の機関誌紙を編集してゐた。『大願』には巻頭言や論文を執筆してゐる。
 6月号には頭山翁の談話「高丘親王と現代国民」。

立助(翁の長男、東亜同文書院出身、昭和十六年七月三日逝去)が、生前常に英米の討たざるべからさ[ざ]ることを力説し、シンガポールを我が手に入れて高丘親王の尊霊を彼の地に奉祀したいと病床で頻りに唱へ居つたが、今の戦さの目覚ましい進捗振りを見てゐると、千百年も前に薨去された此の宮様の英霊が、現代に生きて皇軍を導いてゐるやうぢや。

 と、頭山立助の遺志でもあったといふ。
 8月号ではビハリ・ボースが、頭山翁や立助から高丘親王のことを聞いたといひ、「私は闇夜に灯台を得たる如き力強い感じを受けた」と感動してゐる。
 同月号に、夢荘散史が「或る老書生の日記―昭和四十年春巡拝記から―」を寄せてゐる。昭和18年に掲載されたものなので、22年後の世界を想像して描いた未来日記だ。奇しくもシンガポールが独立した年にあたる。
 高野山には親王を祀る大殿堂、大図書館、研究所が完成し、修行道場もできた。大東亜共栄圏の各地から青年僧が集まり、「万国の本つくにたる本朝に学んでゐる」。
 昭南島の設備は雄大神厳で、「文化上、産業上その他万般の建造物、山川風物、まことに、南アジアの一大中心地」。昭南からは海底隧道の大東亜鉄道東印度支線で、チモール島まで行ける。

かくまで遠い地を気楽に歩きまはり、いたるところで鼓腹撃壌するすめらみたみとともに、随所に齋きまつられる護国の神霊を拝することができた

 大東亜鉄道はビルマからチベットを経て、北京にも通じてゐるやうだ。
 夢荘散史は回想する。

暴慢な米英が枢軸国を抹殺する夢を描いて、野獣の本性を現はして盲爆虐殺を敢へてしつつ、一方では盛んに謀略戦を試み、独伊は勿論、皇国にまで巧みな宣伝を行ひ、日本人であり乍ら所謂「偽装」する左翼主義者を手先につかつて、知識人の混乱を狙つて策動したが、神州不滅の確信を堅持する万民われらは、遂にその戦を戦ひ抜いた。

 昭和19年1月号で松室孝良理事長・陸軍少将は語る。

 親王奉讃の志ある人士に会ふ毎に、自分は「御遺徳御事蹟顕彰事業には大きな夢を見て下さい」と懇願する。自らも身体の小さいのに似ず 親王顕彰事業の大きな夢を見てゐる。

 米英の夢に対抗するためにも、多くの人が真如親王の夢を見てゐた。つづく。