島田清次郎がフェイクニュースの材料にされた理由

 『信州及信州人』(昭和3年一月二月合併号)に「特別読物 記事を売る」が載ってゐる。著者の伊藤松雄は脚本家。新聞の特置員とあるから今でいふ通信員で、普段は山羊を育てたりしてゐた。ある青年から、双倉胴太郎の暗殺未遂事件があったといふ特ダネを教えてもらった。当時の読者は信州の実業家、片倉兼太郎とすぐに想像できた。軽い神経衰弱になった男が、主義者にそそのかされて計画したのだといふ。
 伊藤が記事を送った新聞の紙面を見てみるが、なぜか載ってゐない。それどころか別の新聞に、自分が送ったのとそっくりな記事が掲載されてゐた。
 知人の記者が記事を横取りしたのだと推測した伊藤は、一計を案じた。偽の記事を書いて電報を打ったあと、自分で取り消しの電話をした。
 その記事が「天才 島中清太郎の縊首事件」。これも『地上』を書いて天才と騒がれた島田清次郎のこととわかる。
 伊藤が、記事の創作にあたって考慮したことを箇条書きに7つ挙げてゐる。

(略)
三、センセエシヨンをおこすべき事件
四、あり得ること
五、信じられやすいこと
六、当人に迷惑をより多くかけないですむやうな人物を中心とすること
(略)

 これらを満たすのが、島田が自殺したといふ偽のニュースだった。案の定、この記事は伊藤の新聞には載らず、他のある新聞に大特ダネとして載った。記事を盗んだ人物も方法も判明した。伊藤は「私は勝つたのです。完全に勝つたのです」と得意げに記し、成功の理由を自分で解説する。「迷惑をより多くかけないですむ」と思はれてゐたのが不憫だ。
 『信州及信州人』の編集後記では、「地方操弧界の裏面を暴露したエピソード」と特筆してゐる。