『潜行三十年』(譚覺眞著、文言社、昭和52年10月)は譚の日本での潜行ぶりを中心に記した文集。譚は1909年広東省生まれ。早稲田大学に留学後、汪兆銘政権に参加。駐日大使館情報部長などを務めた。
巻頭には写真が多数。梅機関協力者として谷萩那華雄らも写ってゐる。集合写真が多く、詳しい人が見たらキャプションにない人も特定できるかもしれない。
日本の敗戦後、米軍による戦犯容疑を受けて潜行を決意した譚。杉森孝次郎の娘の次に訪問したのが銭形平次の作者、野村胡堂。野村から新聞記者時代の同僚、藤田勇を紹介された。
現代の日本に、藤田勇氏をおいて、そういうことを、頼める人物はないかも知れない。義侠心に富み、温情、識見ともにそなえた人こそ頼むに足る。正に、昭和の頭山満先生に代る藤田氏かも知れない。
大正時代に印度人志士を匿った頭山翁に匹敵するやうな人として、藤田を描いてゐる。徳川義親の別邸に住んでゐた藤田を訪問した。
「俺も、かつては“社会主義者”として問われ、大杉栄と上海に逃げたことがある。上海では、お国の人に助けられた。君のために役立てば、本望だ」
と二つ返事で身柄を預かった。「頭山先生の配下」の弁護士の応援も得て、仮名や設定を決めて日本人に化けた。東北や京都での潜行生活が面白い。京都の藤田の邸にも感嘆し、「どれ一つをとっても美術品」、主の藤田は「なかなかのお洒落で貴人然としている」と褒める。写真の藤田は蝶ネクタイをしてゐる。
戦時中は汪兆銘の下で機関紙の編集を担当。上海での「和平運動」工作の様子も描く。日本人では影佐禎昭らが出てくる。